仏教要理問答(三版)

弁栄聖者が如何に青民師を心の友として敬慕し尊崇ておられたかが、この追悼の書簡に溢れ出ています。

「  如来の大なる御恵みを感謝し奉る。

拝復 御葉書によりて慟哭して止む能わざるの訃音に接せり。ああ天なる哉、命なる哉。民賢者(原青民師)、有余依身を脱して無余涅槃に帰入せりと。まことに慟するゆえんのものは俗にいわゆる愚痴にあらずして吾道の為なり。民賢者、先年来一に如来三昧を行じたりき。かつて常にこころを浄土に栖遊せし如くなりし。神(こころ)恒(つね)に涅槃に安住せり。脱蝉の後、いずくんぞ浄土にあらざらむ。弁栄、晨(あした)に焼香合掌し、聖き名によりて民賢者の荘厳浄土の冥祉を祈り、昏(ひぐれ)には静座摂心して、真境に入りたまいし賢者の生存の厚誼を追懐憶相す。先師民賢者、つとに普賢の願望を抱き、勢至の意志を懐きて、いま浄土に帰入せり。久賢者よ、願わくは大いに恋うべき所の意志を紹ぎ、斯の道の為に尽悴し、浄土の金蓮台上に安座したまうところの聖慮に手向けられんことを。民賢者、かたちは本の元素に帰還すとも、普賢の志は永遠に朽ちず、後昆(こうこん)の身に再現して世を救うはまた疑うべからず。弁栄、御訃音に接しより、直ちに赴きたしとは存じ候えども、来月十日頃までは、三か所ばかりにて講習の準備も整い居り候えば思うままにならず。実に遺憾なるは折角に出来揚りたる普賢菩薩を直ちに浄土に送り申したることよ。来月十日頃には帰京候。御面晤に万々申し上げるべく候  」