如来光明会趣意書

大正3(1914)年、弁栄聖者56歳の御年、すべての衆生がミオヤと共に光明の生活を送り得るよう、如来光明主義を世に伝えんが為、新教団「如来光明会」設立の宣誓である一枚刷り書を領布されました。

それはまた神や道や仏というのも、すべて大ミオヤという「いのちの根源の大霊光」に外ならず、その霊光が神の子キリスト、孔子、大聖釈尊、その他諸々の聖人に内在する金剛の霊性に反映し、その各々に輝く光として顕現しているに過ぎないのです。それら東西の一切宗教を総括して、「大ミオヤ」の御名の下に収めて標榜されたのが光明主義であります。

如来光明会趣意書

この教団は如来という唯一の大ミオヤを信じ、その慈悲と智慧との心的光明を獲得し、精神的に現世を通じて永遠の光明に入るの教団なり。その大ミオヤとは、宇宙唯一の霊体にして心霊界の大日輪なり。明治天皇の「朝な夕なミオヤの神に祈るなり 我が国民を守りたまえと」「目に見えぬ神の心に通うこそ 人の心の誠なりけれ」との御製は、畏くも其の御消息と拝したてまつらる。また孔夫子(こうし)が天道と呼びたまいし同じく唯一の大ミオヤの別号に外ならずと信ず。凡そ一切の人類はその大ミオヤの分子たる仏性は具すれ度も、大ミオヤの慈悲と智慧との光明によらざれば、霊性を顕彰すること能わず。この永遠不滅の霊活なる大ミオヤの実在とその真理なることを実証したまう、教祖釈迦牟尼仏は殊に明らかに其の大光明に接触するの道と云うべき八万四千の法を説きたまえり。この大光明を八万の方面に渡りて教え給いしは、あたかも太陽の光は一なれども照らさるるものは無量なるが如し。されば、吾人が仏陀の教えに信頼して信念功をなす時は、必ず霊的光明に感触して無明の夜明けて光明界中の人となりぬべし。然してこの光明中の人となれば、自ずから大ミオヤの聖寵により清き心の御子となるが故に、相互に真実親愛の情を以て相侍するに至るべし。人たるもの、この天地間に生を受け万物の霊長たり。

此の光明を獲得せずして可ならんや。かつて聞けり、世の進化の順序は、たとえば人の道を歩行するに両脚の互いに運びて進むが如しと。人の精神の働きを内外両面に分てば、先ず教育政治等のすべて外部に向って働くべき方面と、また宗教家庭道徳などの内部に向かうてつとむベき方面とあり。顧(おも)うに、今や吾が国民はは外部の文明は長足の進歩を以て発達し、今日の隆盛を見るに至れり。これよりは宗教及び道徳等の方面に於て大いに進むべき時期到来せり。長らく眠り居りし国民の内的霊性が覚醒せざるべからざる暁は近づけり。宗教は人類の内的生活を高尚にし、また正善にし、且つ幸福を感ぜしむるものなり。ここに於て吾人は時機相応の信仰的団体を結び、共に教理を研究し、また信念を修養して、互いに相提携し、真理の大ミオヤの聖意に称(かな)う清き同胞として、光明の裡に生活し、現在を通じて精神的に永遠の浄界に進行するを目的とせん。願わくは吾が敬愛なる清き同胞衆生よ、吾人は相互に弟たり、兄たり、共に携えて大ミオヤの光明の大道を進まんことを望むものなり。ここに教団を結び、その目的を達せんと欲する所以なり。

主唱者 仏陀禅那 弁栄

右山崎弁栄上人の趣意書に基づき、同上人を会長と海沼教随老尼を副会長と推戴し、宗教思想の錬磨研究の会を組織せんとす。大方有識の諸士嬢、奮って賛襄(さんじょう)入会あらんことを祈る。

大正四年六月九日 光明教会発起人


会則及び細則は追て定む。本会事務所及び指導場を東京市下谷区谷中初音町二丁目三番地に置く。(※今はもう存在していませんが、現在の谷中の功徳林寺様のすぐ近くであったようです)