松並松五郎師の教え

「如来光名三昧道」


『松並松五郎念仏語録』

〈松並松五郎氏略歴〉

氏は明治42年3月24日、奈良県橿原市に誕生。小学校中退後、村の工場で働くが、その後、氏の姉の工場で生涯職人として働く。18才の時、「弥陀の本願と申すは、名号をとなえんものをば極楽へ迎えんと誓わせたまいたるを、ふかく信じてとなうるがめでたきことにて候なり」の聖語を聞いて念仏一筋の道に入る。29才の冬、比叡山黒谷青龍寺報恩蔵にて、「念仏は弥陀の勅命」なるを感得する。以後、有縁の人々に真宗念仏の真髄を伝え、平成9年12月26日88才にて往生。

この書は、氏がその都度ノートに書きとめられたものを私(土井紀明先生)がパソコンに入力したものである。題名の『松並松五郎念仏語録』は私(土井先生)がつけたものである。

(編集者 土井紀明師 兵庫県西宮市甲子園口 念仏寺内)

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 曾て鈴木大拙師が、松並松五郎師を昭和の妙好人として取材しようとされた時、松五郎師は「念仏もせん者に念仏の話をしても仕方なかろう」と相手にされなかった事があったそうです。この松五郎師の『念仏語録』は他力念仏の真髄ですが、長文なので日々拝読できるよう要文を抜粋編集し、簡単な読み物として『私訳松並松五郎師語録』を作成致しました。此の語録を『改訂 新訳 如来光明礼拝儀』と共に日々拝読して大ミオヤのお心に触れさせていただいております。

 (石川乗願文責) 

『私訳 松並松五郎師語録』 

 呼びづめ  立ちづめ  招きづめ弥陀は焦がれてあいに来た そのお姿が南無阿弥陀仏

   見るに見かねて此処へ来て育てみちびく姿こそ 口に聞こえる南無阿弥陀仏

      此の口に現れ給うナムアミダブツの親心 ただただ仰ぎ聞くばかり


 大ミオヤが、片時も離れず念々に私を念じて下さっておられる、それを念仏といい、その大御心(おおみこころ)が口に現れて称名となる。阿弥陀さまが常に私を念じづめ、常に私を呼び続けておられる、それが今、此の口に聞こえる、活き仏のナムアミダブツ。私は唯々仰ぎ聞くだけ。仏のなさしめ給う御念仏ナムアミダブツ様が、私を待ちきれずに今遂にここに助けに来た、あいに来て下さった。私の方から出すものは一つもない、阿弥陀仏のなし業一つ、決して此方から手を出してはならぬ。念仏が出て下さるのも仏様の所作であります。

 その一声一声のお念仏は、「迎えに来たぞ」「此処に居るぞ」「連れてゆくぞ」「間違わさんぞ」の声なれば、私の心の模様は算用済んだ、何の障りにもならぬ。動けば動けと捨て置いて、この呼び声聞くよりほかに何の用もない。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、それそれ、その声が弥陀じゃぞ。弥陀がナムアミダブツの声と成りきって、落ちると見込んで下された私に「お前を迎えに来た」「あいに来た」「連れに来た」、弥陀直々の迎えでも物足りぬかや。

 私等の欣求浄土の思いは極々小さい。連れて往きたいと願う、念(おも)う仏さまの心の方が遥に大きい。信心とはこのナムアミダブツの親心にびっくりするだけのことである。この声聞く以外は、皆おまけですがなぁ。

 ナムアミダブツのお助けの、仏さまの御出入りの邪魔をせぬことであります。此の口は私の物と思っているから要(い)らざる事を言う、南無阿弥陀仏さまがお出まし下さるからには、仏さまの所有物である。身も、口も、意も全部、南無阿弥陀仏さまにお返ししては如何ですか。 自分の計らいをさしはさまぬことです。仏さまの念(おも)い通りにさせてあげることであります。

 ナムアミダブツの法水を自分の籠の中へ入れようとするから水がこぼれる、水の中に籠を入れてしまえばよい。いつまでも籠の中にはナムアミダブツの法水がある。
 今日も明日も阿弥陀さまが称えるナムアミダブツの説法を聞けよ、「わしがここにおるぞ、お前を連れてゆくぞ」という呼び声を。

 私等は  念仏せんのです、よう称えぬから、念仏は阿弥陀さまにして頂けばいいのや。仏さまが直々に迎えに来て下さることがお念仏なのです。但し「念仏せよ」との仰せなるから、此の口を仏様にお返しして、常に呼声を、称えるまま聞いておればいいのです。そうなると念仏するとか、せねばならぬということを離れ、唯南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と呼んでいただくばかり。口に現れ給うお念仏、それそれ其の南無阿弥陀仏に、助けられて往生ぞや。此の呼び声を命の限り聞きつつ、一代終わるのです。

呼んでいる   呼んでいる   呼んでいる   呼んでいる 

今の私を呼んでいる   返事もないのに呼んでいる   それでも呼んでる聞こえ来る 

ナムアミダブツ   ナムアミダブツ   ナムアミダブツ   ナムアミダブツ