法然上人

長承2年(1133)4月7日~建暦2年(1212)正月25日

『選択本願念仏集』

現代語訳『選択集』 服部英淳先生訳

平安朝の末期、高倉天皇の承安5年(1175)法然上人が浄土宗をお開きになってから、既に二十三年、念仏の教えは、都に田舎に非常な勢いで広がっていた。その建久9年(1198)の正月、御年六十六歳の上人は永い間のお疲れが出たのか、病のために東山吉水の草庵に引きこもり、各方面のお招きがあっても門を出ることなく、ひたすらお念仏をしていられた。かねて上人に深く帰依していた前の関白九条兼実公は、これを悲しみ、使いをつかわして、一つには御法話の代わりに、一つには後の「かたみ」にしたいから、往生浄土の教えを説いた経典や書籍の要文を集めて頂きたいと願ったのである。そこで上人は、まず自ら「選択本願念仏集 南無阿弥陀仏 往生之業念仏為先」の二十一字を認め、安楽房、真観房などを執筆者として、この一篇をまとめ、三月にはこれを兼実公に送られた。現在、国宝として京都蘆山寺に保存されているものが、その時の草稿であろうと推定されている。翌四月には、「没後遺誡文」という遺言状をお書きになったのであるから、この時の御病気は、よほど悪かったのではないかと思う。したがって、門徒に残す最後の御著作として、非常な決意で書かれたものと考えられる。

選択本願念仏集

南無阿弥陀仏 

 往生之業 

念仏為先

二尊諸仏が選び給える、阿弥陀仏の本願念仏の要文を集める

南無阿弥陀仏

極楽浄土に救われる為には、

先ず阿弥陀さまのみ名を称えよ 


  • 第一章 さとりと救い

この章にかかげたのは、道綽禅師が、仏教を、自力でさとる聖道門と、阿弥陀さまの他力の救いを説く浄土門とに分け、「さとりの道」を捨てて、「救いの道」を選ぶようにと、諭された文である。

道綽禅師は『安楽集』の上巻に、次のように説いていられる。

およそ命あるものは、誰でもみ仏になる本性を具えている。のみならず、はかり知れぬ遠い昔から今の日まで、多くのみ仏のお導きをいただいたことであろう。それにもかかわらず、何故に今なお、自ら貪りと争いと、悩みとの迷いの心にひかれて、虚しい生と死とをはてしもなく繰り返し、たとえば炎につつまれた家のような、苦しみにみちみちた生活から、逃れることができないのであろうか。私はこれについて、次のように考える。大乗-人は自らめざめ、人もめざめさえせ、ともどもに仏のさとりを得なければならぬと説く勝れたみ教えーの聖なる経典によると、生と死との繰り返しから逃れるのには、まことに勝れた二つの方法がある。それなのに、人々はこれを修行としようとはしない。炎につつまれた家にいるような、苦しみの生活から逃れることができないのは、そのためである。

ここで二つの方法というのは、聖者のように自力でさとる聖道門と、阿弥陀仏の他力に救われて永遠の極楽浄土に生きる浄土門とである。ところが今の時代には自力の聖道門によってさとりを得ることは難しい。その一つのわけは、この教えをお時になったお釈迦さまが、お亡くなりになってから、もう千五百年以上にもなるからである。他の一つのわけは、人々はこの勝れた教を聞いても、理解する力がなくなってしまったからである。だからこのことを『大集月蔵経』の中に、お釈迦さまの御言葉として、

「私が此の世を去ってから千五百年後の世になると、どんなに多くの人々が、私の説いた教を修行してみても、正しいさとりを得る者は、一人もないようになるであろう」

と記されているのである。ちょうど今は末の世であって、例えば、第一には時代の汚れで、食物の不足や、流行り病気や、争いなどが激しくなること。第二には考え方の汚れで、善にも悪にも必ず報いがあるという道理を、信じようともしなくなること。第三には心の汚れで、貪りと、怒りと、迷いの心が強くなること。第四には人の汚れで、自分を振り返ってみる事の無い悪人がはびこること。第五には命の汚れで、命が短くなることなど、こんな五つの汚れに満ちた、濁り水のような悪い時代になっている。このような時代に、自分の力で修行してさとりを得ようなどということは、出来るわけもない。仏の力に救われて、浄らかな仏の国に生きることだけが、私達の通ることの出来る唯一つの仏の道である。だから『無量寿経』に阿弥陀さまが、

「かりに一生罪を造り続けた人であっても、いよいよ死の間際に、十声わたしの名を称えたならば、私の浄めた国に救ってあげよう。若し私にそれが出来ないようならば、それまでの間は、完全なさとりを得た仏にはならないであろう」とお誓いになったのである。

そしてまた、ひとびとは自分の能力を振り返って見ることをしない。若し大乗のみ教えについていえば、あらゆるものの真実のすがたとか、そこから出てくる働きとか、とらわれの心を離れた本当の智慧 -これらは、迷いのために隠れているが、もともと我々が持っている浄らかな心のすがたなのである― 等が説かれている。ところが、末の世になると、この道理をさとるために、苦しい修行と長い時間がかかるので、心に掛けて修行する者さえない。又小乗 ―大乗に対して、自分だけのさとりを願うような、狭くて低いといわれる― のみ教えについて説明すると、この世の苦しみや、その原因となる罪悪や、それを逃れる道などを正しくわきまえ、さらにこの道理を繰り返し考え、その通りに修行して、だんだん迷いの心をなくしていく方法が説かれている。そしてこの修行によって、我々を欲でかたまった生活に縛り付けている五つの障り ―自分の身体は何時までもこのままあると思うこと、間違った信仰によって善い報いがあるなどと思うこと、疑い深いこと、貪ること、怒ること― を断ち切って、再び愛欲の生活に戻らない人になり、だんだんと愛欲を離れた物質の生活や、心だけの生活に進む。ここにも亦、我々を縛り付けている五つの障り ―物にこだわること、心にこだわること、うきうきして落ちつかないこと、思いあがること、道理に暗いこと― があるから、これを断ち切らねばならぬ。このようにして、物だけにかたよった生活と、心だけにかたよった生活を超え、再びこれを繰り返さない正しい智慧と確信とを得て、人から供養を受ける値打ちのある、阿羅漢と呼ばれる尊い人となり、ついにさとりの世界に入るのである。ところが、末の世の人々は、出家と云わず在家と云わず、この小乗の修行さえも実行する力を持っていない。又、たとえ完全なさとりは望まなくとも、次の世にもう一度人間に生まれ、或いは天上界に生れる為にさえ守らねばならぬ掟や修行がある。もつぃ人間界に生れようとすれば、生き物を殺さないこと、盗みをしないこと、淫らなことをしないこと、嘘を言わないこと、酒を飲まないこと、等の五つの掟を守らなければならない。又楽しい勝れた世界と信ぜられる天上界に生れるのには、殺さないこと、盗まないこと、淫らでないこと、嘘を言わないこと、正しくない言葉で人の心を乱すようなことをしないこと、二枚舌を使わないこと、人の悪口を言わないこと、貪らないこと、腹を立てないこと、道理に暗くないこと、などの十の善事を実行しなければならぬ。ところが、これさえも出来るものはめったにない。それどころか、悪いことをしたり、罪を作ったりすることは、荒れ狂う風や、降りしきる雨の湯に、まことに盛んなのである。だから多くのみ仏たちは、大きな慈しみの心で、阿弥陀さまの浄らかなみ国に心を寄せよとお勧めになったのである。たとえ一生の間、罪を造り続けた人であっても、ひたすら心を其のみ国に傾け、一すじに聖名を称えたならば、あらゆる障りは悉く消えて、間違いなくみ国に救われると説かれているのである。このような尊いみ教えあるのに、人々は何ゆえこれを深く考えもせず、彼のみ国へ救われようとは思わないのであろうか。 

この『安楽集』の文について、私の思う所を述べてみよう。およその教えのたて方は宗によって違いがある。たとえば「法相宗」では、お釈迦さまが御一生の間にお説きになったみ教えを大きく三つに分けている。まず第一時は、小乗の一派「有部」の説で、すべてのものは、もともと色々なものの結びつきによって出来ている仮の姿であって、いつも変わらぬ実体はないけれど、未来から現在へ、現在から過去へと移っていくものの自体は、いつもあると説くから「有の教」という。第二時は『般若経』を拠り所とする大乗の「中観派」の説であって、あらゆるものの自体も、やはり色々な因と縁によって成り立っているので、これにとらわれる心を捨てなければいけないと説くから「空の教」という。第三時は「瑜伽派」の説であって、有というのも空というのも、かたよった見方で、その中間のかたよらない道が正しいと説くから「中道の教」という。これが「法相宗」の教えの立て方である。又「三論宗」では二つに分けている。一つは大乗の修行者 ―ぼさつ― のための教、もう一つは小乗の修行者のための教えである。次に「華厳宗」では五つに分けている。第一は小乗の教、第二は大乗の初歩を説いた始教、第三は大乗の進んだところを説いた終教、第四は、前の三つが長い時間をかけてだんだん修行していく教えなのに対し、速やかにさとりを得る法を説いた頓教、第五は『華厳経』に説かれているような完全円満な円教である。又「天台宗」では、四つの教と、五つの味を説いている。四つの教えというのは、第一は小乗のお経と、修行者の掟と、み教えを広く説いた論とをおさめた三蔵教、第二は、大乗ではあるが、小乗に共通した所のある通教、第三は大乗だけを説いた別教、第四は『法華経』に説かれているような、最もすぐれた完全円満な円教である。五つの味というのは、牛乳を精製して、だんだん味が良くなる順序を五つに分けたもので、お釈迦さまが御一生の間に、聞く人の理解する力に応じて、色々な説き方をされたことを喩えたのである。その第一はクシーラといい、生の牛乳で『華厳経』に喩え、第二はダドヒといい、牛乳を煮て濃くした、酸っぱい味のするもので『阿含経』に喩え、第三はナワニータといい、生のバターで『方等経』に喩え、第四はグフリタといい、澄んだ純良バターで『般若経』に喩え、第五はサルピルマンダ(醍醐)といい、溶かしたバターの泡で、最もおいしい、いわゆる醍醐味であって、お釈迦さまの本当の思し召しを表わした『法華経』と『涅槃経』に喩えたものであると説く。それから「真言宗」では、二つの教えに分けている。その一つは、お釈迦さまが此の世にお出ましになって、表向き説法をされたのを顕教、もう一つは、あらゆるみ仏の大本であると信ぜられる大日如来が、秘密に説かれた真実のみ教え(真言)を密教というのである。

さて浄土宗ではどうかというと、道綽禅師のお考えによれば、二つの道に分けて、すべてのみ教えを此の中におさめるのである。それが前に掲げた「さとりの道たる聖道門」と「救いの道たる浄土門」とである。私はここで、み仏の国に救われる教を説く宗の意味から「浄土宗」という名を用いた。ところが、昔から八宗九宗と言って、その中に華厳宗や天台宗などの名はあるけれども、浄土宗という名は聞いたことがないという人があるかも知れぬ。そこで、ここにその証拠を挙げて見ると、一つや二つではない。まず元暁の『遊心安楽道』には「浄土教の考えからいうと、此のみ教えは元々愚かな罪深い人のために説かれたのであって、かたわらひじりの為に説かれたのである」と書かれているし、慈恩の『西方要決』には「この一宗に依る」という言葉があり、また迦才の『浄土論』には「この一宗こそ、最も大切な道であると心に信じている」と言っていられる。だから私が浄土宗という名を用いても少しも疑う余地はないのである。しかしながら、他の宗の教の立て方について述べることは、今の目的でℌない。ここでは浄土宗の立場から仏教を分けると、二つの道にまとめることが出来る。それは自力でさとる聖道門と、仏の他力に救われて浄土に往生する浄土門とである。聖道門というのは、これに大乗と小乗とがある。また大乗の中にも、真言宗では、お釈迦さまが表向き説かれた顕教と、大日如来が秘密に説かれた密教とに分け、天台宗では、人の能力に応じて説かれた「仮の大乗」と、み仏たちが自ら歩まれた唯一の道である「実の大乗」とを区別している。今『安楽集』に聖道門といっていられるのは、道綽禅師の頃に行われた顕教と「仮の大乗」とを指しているわけである。此の二つは、密教や「実の大乗」のように、速やかにさとりを得る教ではなく、長い修行によってさとる遠回りの教えである。けれども、聖道門という意味からいえば、密教も「実の大乗」も、やはりこの中に含ませることが出来よう。若しそうであるとすれば、真言宗、禅宗、天台宗、華厳宗、三論宗、法相宗、地論宗、攝論宗などの八つの宗は、悉く聖者の歩まれたような聖道門というものの中に収められる。この訳をよくよく考えて頂きたい。それから小乗というのは、その教えを説いたお経-『阿含経』など-や、その修行者の守る掟や、その教えを広く説いた論の中に明らかにされているもので、お釈迦さまから直接説法を聞いた人々でも、自ら山などに入って修行した人々でも、この世の迷いの心を断ち切って道理をさとり、ついに聖とあがめられるようになった人々の進まれた道を、ことごとく含めて云ったのである。だから小乗の中、『倶舎論』を学ぶ「俱舎宗」も『成実論』を学ぶ「成実宗」も、特に修行者の掟を堅く守る色々な「律宗」も、同じく聖道門というものの中に入れることが出来るのである。つまり、聖道門は、大乗と小乗の区別なく、この迷いの世で、さとりを得て聖となるみ教えであって、まとめていうと、四つの道によってそれぞれのさとりに入るのをいうのである。四つの道とは、第一にお釈迦さまのみ教えを直接聞いたお弟子たちの進まれた道(声聞乗)。第二に自ら山などに入って、この世の苦しみや迷いの起こるいわれをさとった人々の進まれた道(縁覚乗)。この二つは小乗であるが、第三に大乗のみ教えによって完全なさとりを得ようと志す人々 -ぼさつ- の進まれた道(菩薩乗)。そしてこれに、み仏たちが自らお歩きになった尊い道(仏乗)を加えて、四つの道というのである。

次にみ仏の国に生きる「救いの道」というのは、これに二つあって、一つは他力による浄土往生の「救いの道」だけを説いたみ教え、もう一つは自力聖道の「おさとりの道」を説きながら、かたわら「救いの道」だけを説いたみ教えである。この中「救いの道」だけを説いたみ教えである。この中「救いの道」だけを説いたみ教えには、三つのお経と一つの論とがあって、三経一論といっている。三つのお経というのは、第一に『無量寿経』、第二に『観無量寿経』、第三に『阿弥陀経』であって、一つの論というのは、天親菩薩の書かれた『往生論』である。この三つのお経を「浄土の三部経」という。このようにまとめて三部経と呼ぶ例は、外にもいくつもあって、先ず第一に、『無量義経』『法華経』『普賢観経』の三つを「法華の三部」といい、第二に『大日経』『金剛頂経』『蘇悉地経』の三つを「大日の三部」といい、第三に『法華経』『仁王経』『金光明経』を「国を護る三部」といい、第四に『弥勒上生経』『弥勒下生経』『弥勒成仏経』の三つを「弥勒の三部」といっている。『無量寿経』などの三つは、阿弥陀さまの浄土に救われるみ教えを説いたお経であるから「浄土三部経」といったのである。この三部経こそ、浄土宗の拠り所となる大切なお経である。又「さとりの道」を説きながら、かたわら「救いの道」を説いたお経としては、『華厳経』『法華経』『髄求陀羅尼経』『尊勝陀羅尼経う』などがあって、いずれも阿弥陀さまの浄土に生きる色々な道が説かれている。そして『起信論』『宝性論』『十住毘婆沙論』「摂大乗論」なども、やはりかたわら「救いの道」を説いた書物である。

こうして、道綽禅師が『安楽集』の中で、聖道門と浄土門とに分けられた意味は、聖道を捨てて、浄土を選ばせるためであった。それには二つのわけがある。その一つは、お釈迦さまがお亡くなりになってから、はるかに千五百年以上にもなるからである。もう一つのわけは、人々はこの勝れたみ教えを聞いても、理解する力がなくなってしまったからである。ただし、聖道門と浄土門というように、二つに分けられてのは、道綽禅師だけでなく、曇鸞、天台、迦才、慈恩などの方々も、やはり同じような考えを持っていられたのである。例えば、曇鸞法師の書かれた『往生論註』には、

つつしんで拝見すると、龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』に、次のように書かれている。完全な仏のさとりを求める人々が、その修行によって、再び迷いの生活や、自分だけのさとりを求めるような小乗の考えに、後戻りしないという確信を得るためには、二つの道がある。一つは「困難な修業の道」(難行道)、もう一つは「たやすい修行の道」(易行道)である。

この中、「困難な修行の道」というのは、五つの汚れに満ちた濁り水のような世の中で、しかもお釈迦さまが生きておいでにならない時、再び後戻りしない確信を得るような、立派な修行を成し遂げることは、まことに難しいからである。何ゆえに難しいかということについては、色々数えることが出来るけれども、ここでは簡単に五つばかり例をあげて、その訳を明らかにしてみよう。先ず第一には、み仏の教えを信じない人々の行いが、どうかすると、本当の善にまぎらわしいことがあるので、正しいさとりを求める人々の修行を乱すことがある。第二には、自分だけのさとりを願う、せまい心を持った小乗の人々が、大きな慈しみの心で、すべての人々と共々に、さとりを求めようとする大乗の修行を妨げることがある。第三には、己を省みることのない悪人がいて、他の人のすぐれた徳を傷つけようとする。第四には、自分の欲望や名誉のために、施しをしたり、人を助けたりして、それによって善い報いを得ようとする誤った考えが、仏教の正しい修行を打ち壊す。第五には、僅かな自分だけの力を頼りにしていて、み仏の大きな他力が加わっていない。このようなことは、目の前にいくらもあるから、困難な道というのである。喩えていうと、陸の道を歩くことは骨が折れるようなものである。それから「たやすい修行の道」というのは、ただみ仏を信じ敬うことだけをたよりに、その浄土に生きようと願えば、み仏の大きなお誓いの力に助けられて、この悩みと迷いの世界から、救われて行くことを、教えられたものである。このように、み仏のお力が、心の弱い我々に加わるから、初めて大乗に説く正しい安定した信仰の仲間入りができる。正しい安定した信仰というのは、とりもなおさず、前に言った、後戻りしない確信を得ることである。喩えていえば、陸の道を歩くよりも、船に乗って水の上を渡る方が、楽なようなものである。

と述べられている。ここで「困難な修行の道」というのは、「さとりの道」たる聖道門であるし、「たやすい修行の道」というのが「救いの道」たる浄土門のことである。「むずかしい道」と「たやすい道」といっても、「さとりの道」と「救いの道」といっても、言葉は違うが意味は同じである。天台や迦才などのお考えも、やはりこれと同じである。この意味をよく知っていただきたい。又、慈恩大師の『西方要決』には、

つつしみ敬って考えると、お釈迦さまは、時が巡って来て尊いみ教えをお開きになり、ゆかりある多くの人々をお導きになった。そのみ教えは、時代や場所に応じて弘められ、ちょうど日照りに雨を注ぐように、苦しみ悩む人々の心を、広く潤してきたのである。そして親しくお釈迦さまからみ教えを聞くことの出来たお弟子たちは、小乗でも大乗でも、それぞれの力に相応しいさとりの道に進まれたのであるけれども、お釈迦さまとゆかりが少なく、恵まれない人々のためには、浄土へ救われる道に、心を寄せよとお勧めになったのである。このみ教えに従って修行する人々は、ひたすら阿弥陀さまをお慕いして忘れず、すぐれた報いのもとになる、あらゆる善を振り向けるならば、その浄土へ救われる。実に阿弥陀さまは、この世に苦しみ悩む我々を、必ず救うとお誓いになった。だからこれから一生の間念仏し続ける人はいうまでもなく、仮に死の間際の十たびの念仏であっても、確かに仏の浄土に救われるのである。と書いておられる。

そしてまた、この書物のあとがきには、

よくよく考えてみると、我々は、お釈迦さまがお亡くなりになってから、遥かに隔たった時代に生れたのである。そして今は、み教えや修行は残っていて、正しいみ教えが行われていた頃に似てはいるが、さとるものが無いといわれる時代(像法)の末である。お釈迦さまの説法を聞いた人々の進む道、山などで自ら道理をさとった人々の進む道、大乗の修行者が進む道、これ等の三つの道は、すべて学ぶことが出来ても、さとりに入る力がないのである。次の世に人間や天上に生れることぐらいは出来ようけれども、これ等の生活は、いつも騒がしくて心が落ち着かぬ。もしも智慧があり、広々とした心を持った人であるならば、いつまでもこの世にとどまって、修行にいそしむことも出来よう。しかし、我々のような、愚かで浅い修行しかできない者は、おそらく、ついには光のない苦しみの生活に溺れこむに違いない。だからどうしても、この迷いの生活を遠く逃れて、心を清らかな仏の国に落ち着けるようにしなければらならぬ。と説いていられる。

この分の中で、「三つの道」とあるのは、自ら勤めてさとる聖道門の「さとりの道」であるし、「浄らかな仏の国に救われる」とあるのは、とりもなおさず「救いの道」たる浄土門のことである。「三つの道」と「浄らかな仏の国」といっても、「さとりの道」と「救いの道」といっても、その名は違うが意味は同じである。「救いの道」に志す人々は、今述べたことを、しっかり飲み込まなければならぬ。仮に前々から「さとりの道」を学んだ人であっても、もし「救いの道」に進もうと志したならば、はっきりと「さとりの道」を捨てて、一すじに「救いの道」にお任せするがよい。例えば曇鸞法師は、龍樹を祖師と仰ぐ「四論宗」の学者で、その教えを説いていられたのであるけれども、ついにこれを捨てて、ひたすら「救いの道」たる浄土門に心を傾けられた。又、道綽禅師は、『涅槃経』を二十余たびも講義された程の人であったにもかかわらず、これを捨てて、ひたすら西方浄土に生きる念仏の教えを広められたようなものである。古い昔の賢人とか哲人とか言われる人々でさえそうであった。末の世の愚かな我々は、なおさらこれらの方々の教に従って、「救いの道」を求めるのが本当ではなかろうか。

次に「さとりの道」を説く宗には、例えば親子の「血筋」のように、それぞれの教えを師から弟子へ、次々と正しく教を受け継いできた「血筋」(血脈)を書いた系図がある。天台宗では、慧文、南岳、天台、章安、智威、慧威、玄朗、湛然などの方々が、次々に引き継いでいられる。真言宗では、大日如来、金剛薩埵、龍樹、竜智、金智、不空などの方々が、次々に引き継いでいられる。その他の多くの宗にも、皆この「血筋」がある。これと同じく、浄土門にも、やはり師から弟子へと伝えた「血筋」があるのである。但し、浄土宗の「血筋」にもいろいろあって、廬山の慧遠法師の流れと、慈愍三蔵の流れと、道綽禅師や善導さまの流れとの三つがある。この中、特に道綽禅師や善導さまの流れを汲んだ「血筋」について言えば、これもまた二つの別がある。その一つは、菩提流支、慧寵、道場、曇鸞、大海、法上などの方々の「血筋」である。(これは『安楽集』に出ている)もう一つは菩提流支、曇鸞、道綽、善導、懐感、少康などの方々が、次々と教えを受け継がれた「血筋」である。(これは中国の『唐高僧伝』と『宋高僧伝』に出ている)

第一章 聖道浄土二門篇

道綽禪師立聖道淨土二門而捨聖道正歸淨土之文

 安樂集上云問曰一切衆生皆有佛性・遠劫以來應値多佛・何因至今仍自輪廻生死不出火宅・答曰依大乘聖敎良由不得二種勝法以排生死・是以不出火宅・何者爲二・一謂聖道・二謂往生淨土・其聖道一種今時難證・一由去大聖遙遠・二由理深解微・是故大集月藏經云我末法時中億億衆生起行修道未有一人得者・當今末法現是五濁惡世・唯有淨土一門可通入路・是故大經云若有衆生縱令一生造惡臨命終時十念相續稱我名字若不生者不取正覺・又復一切衆生都不自量・若據大乘眞如實相第一義空曾未措心・若論小乘修入見諦修道乃至那含羅漢斷五下除五上・無問道俗未有其分・縱有人天果報皆爲五戒十善能招此報・然持得者甚希・若論起惡造罪何異暴風駃雨・是以諸佛大慈勸歸淨土・縱使一形造惡但能繫意專精常能念佛一切諸障自然消除定得往生・何不思量都無去心也

 私云竊計夫立敎多少隨宗不同・且如有相宗立三時敎而判一代聖敎・所謂有空中是也・如無相宗立二藏敎以判一代聖敎・所謂菩薩藏聲聞藏是也・如華嚴宗立五敎而攝一切佛敎・所謂小乘敎始敎終敎頓敎圓敎是也・如法華宗立四敎五味以攝一切佛敎・四敎者所謂藏通別圓是也・五味者所謂乳酪生熟醍醐是也・如眞言宗立二敎而攝一切・所謂顯敎密敎是也今此淨土宗者若依道綽禪師意立二門而攝一切・所謂聖道門淨土門是也・問曰夫立宗名本在華嚴天台等八宗九宗・未聞於淨土之家立其宗名・然今號淨土宗有何證據也・答曰淨土宗名其證非一・元曉遊心安樂道云淨土宗意本爲凡夫兼爲聖人・又慈恩西方要決云依此一宗・又迦才淨土論云此之一宗竊爲要路・其證如此不足疑端・但諸宗立敎非今正意・且就淨土宗略明二門者一者聖道門・二者淨土門・初聖道門者就此有二・一者大乘・二者小大・就大乘中雖有顯密權實等不同今此集意唯存顯大及以權大・故當歷劫迂迴之行・準是思之應存密大及以實大・然則今眞言佛心天台華嚴三論法相地論攝論此等八家之意正在此也・應知・次小乘者總是小乘經律論之中所明聲聞縁覺斷惑證理入聖得果之道也・準上思之亦可攝倶舍成實諸部律宗而巳・凡此聖道門大意者不論大乘及以小乘於此娑婆世界之中修四乘道得四乘果也・四乘者三乘之外加佛乘也・次往生淨土門者就此有二・一者正明往生淨土之敎・二者傍明徃生淨土之敎・初正明往生淨土之敎者謂三經一論是也 三經者一無量壽經・二觀無量壽經・三阿彌陀經也・一論者天親往生論是也・或指此三經號淨土三部經也・問曰三部經名亦有其例乎・答曰三部經名其例非一・一者法華三部・謂無量義經・法華經・普賢觀經是也・二者大日三部・謂大日經・金剛頂經・蘇悉地經是也・三者鎭護國家三部・謂法華經・仁王經・金光明經是也・四者彌勒三部・謂上生經下生經・成佛經是也・今者唯是彌陀三部・故名淨土三部經也・彌陀三部者是淨土正依經也・次傍明往生淨土之敎者華嚴法華隨求尊勝等明諸往生淨土之行之諸經是也・又起信論寳性論十住毗娑沙論攝大乘論等明諸往生淨土之行之諸論是也・凡此集中立聖道淨土二門意者爲令捨聖道入淨土門也・就此有二由・一由去大聖遙遠・二由理深解微・此宗之中立二門者非獨道綽・曇鸞天台迦才慈恩等諸師皆有此意・且曇鸞法師往生論注云謹案龍樹菩薩十住毗婆沙云菩薩求阿毗跋致有二種道・一者難行道・二者易行道・難行道者謂於五濁之世於無佛時求阿毗跋致爲難・此難乃有多途粗言五三以示義意・一者外道相善亂菩薩法・二者聲聞自利障大慈悲・三者無顧惡人破他勝德・四者顚倒善果能壞梵行・五者唯是自力無他力持・如斯等事觸目皆是・譬如陸路步行則苦・易行道者謂但以信佛因縁願生淨土乘佛願力便得往生彼淸淨土・佛力住持即入大乘正定之聚・正定即是阿毘跋致・譬如水路乘船則樂・已上此中難行道者即是聖道門也・易行道者即是淨土門也・難行易行聖道淨土其言雖異其意是同・天台迦才同之・應知・又西方要決云仰惟釋迦啓運弘益有縁・敎闡隨方竝霑法潤・親逢聖化道悟三乘・福薄因疎勸歸淨土・作此業者專念彌陀・一切善根迴生彼國・彌陀本願誓度娑婆・上盡現生一形下至臨終十念倶能決定皆得往生・已上又同後序云夫以生居像季去聖斯遙・道預三乘無方契悟・人天兩位躁動不安・智博情弘能堪久處若也識癡行淺恐溺幽塗・必須遠跡娑婆栖心淨域・已上此中三乘者即是聖道門意也・淨土者即是淨土門意也・三乘淨土聖道淨土其名雖異其意亦同・淨土宗學者先須知此旨・設雖先學聖道門人若於淨土門有其志者須棄聖道歸於淨土・例如彼曇鸞法師捨四論講説一向歸淨土・道綽禪師閣涅槃廣業偏弘西方行・上古賢哲猶以如此・末代愚魯寧不遵之哉・問曰聖道家諸宗各有師資相承・謂如天台宗者慧文南岳天台章安智威慧威玄朗湛然次第相承・如眞言宗者大日如來金剛薩埵龍樹龍智金智不空次第相承・自餘諸宗又各有相承血脈・而今所言淨土宗有師資相承血脈譜乎・答曰如聖道家血脈淨土宗亦有血脈・但於淨土一宗諸家不同・所謂廬山慧遠法師慈愍三藏道綽善導等是也・今且依道綽善導之一家論師資相承血脈者此亦有兩説・一者菩提流支三藏慧寵法師道場法師曇鸞法師大海禪師法上法師・已上出安樂集二者菩提流支三藏曇鸞法師道綽禪師善導禪師懷感法師少康法師・已上出唐宋兩傳

第二章 二種の行