山本空外上人私論 

石川乗願

 『無二的人間の形成 山本空外上人展』寄稿

(平成30年3月30日初版 参照)  

おかげさまの行行者

山本空外上人

 山本空外上人のお話は、哲学用語が多く難しい言葉も多いですが、実はお話は一貫してシンプルで、しかも日常生活に添った、至って当たり前の事を仰っておられる様に思います。しかし、その当り前のことこそが大変重要で、21世紀はこのような思想背景を一人一人が自分の身に実現していくことが急務である時代だと思います。そしてもしそれが実現するならば、本当に素晴らしい世界が展開していく事でしょう。

真理の流れ

 仏教は、お釈迦様が宇宙の真理を「縁起」の理法として覚られたのがはじまりです。

 八宗の祖と言われる龍樹菩薩は、その縁起の理法を「空」(無自性)の概念に収め、全仏教を纏められました。

 日本では法然上人が、それらを「万徳」として「阿弥陀」の三文字に収め、南無阿弥陀仏による平等往生を初めて開示なされました。

 近代では、今釈迦と仰がれた弁栄上人が、仏教のみでなくキリスト教、古今東西の哲学宗教を含め、その真髄を「霊性」の二文字に収め、「霊性」を人格とした「大ミオヤ」の光の霊化に、宗教の肝要を収められました。

空外上人の仏教

そして空外上人は、それら全てを日本語の「おかげさま」と言う言葉に収められました。また、「南無阿弥陀仏」とは、「いのちのおかげさま、勿体のうございます、有り難うございます」と頭が下がり拝むことであると、日本仏教史上、始めて現代の言葉で仏教を体系的に語られたのです。(『いのちの讃歌』p47)

 今の日本では、明治以降、殊に戦後の欧米思想教育によって、本来の日本の美しい無私なる文化が、自己中心の上滑りしたものになってしまっています。

 言葉は文化であります。言霊(ことだま)が宿るとされた日本語も、今では、意味の分からないカタカナ英語が蔓延し、従来の言語までが深みのない表層表現に終始してしまっているようです。

おかげさま 

 「お陰様」という言葉は、本来誰かのおかげと個人を限定する言葉なのではなく、目に見えない陰の部分に、「量る事の出来ない生かされるいのちの恵み」や「先祖や、関わって下さった全ての方々・出来事の御恩」を観じて感謝を表す言葉です。実は「神仏の光に照らされている」事を表現した言葉なのです。

もったいない

 「勿体無い」と言う言葉は、空外上人は「おかげさま」という意味だと仰っておられます。もの(勿・物)には自性(体)が無い、無自性、私の手柄は何一つないと言う意味で、お陰様と同意語であると仰います。

 曽て、ケニアのノーベル平和賞受賞者で、環境保護運動家のワンガリ・マータイ女史が二〇〇五年来日した際、「もったいない」という言葉の素晴らしさに感激し、是非世界の共通語にしたいと広めようとされたことがありました。

 「もったいない」は物を無駄にしてはいけない、生かしてゆきなさいという言葉ですが、それはまた、私の手柄ではない大自然いのちのおかげを頂いているのに、それを満足に活かすことが出来ない己を照らされ、本当に申し訳ありませんという、懺悔の思いが込められた言葉でもあります。

ありがとうございます

 「有り難うございます」も感謝を表す言葉ですが、ただし英語のthank youの様に直接目の前に居る人に感謝するだけの言葉ではなく、日常の何気ない喜びや幸せの中に神仏が在らしめることを、「本来有り得ない事が、今目の前に有ります」「自分が今此処に存在している事が最早神の奇跡であります」として、自身の存在や出来事への喜びを神仏への感謝にまで昇華させた言葉なのです。

随神(かんながら)の文化

 もともと日本語には主語が無いと言われています、主語を極力省きます。何故なら、本来の日本人は私を主張することを嫌うからです。それは、単に奥ゆかしいと言うよりも、目に見えない大いなるいのち、神の存在を常に感じ敬愛し、畏怖しているからこそ、我を出すことを恥ずかしいと感じるのです。

 また、「お湯が沸いた」等、物が主語になることもあります。本来なら「水を湧かした」と人を中心に言うべきでありましょう。しかし其処にも、人間の力の及ばない、水をお湯に変化させてくださる大いなる命のお蔭の存在を背後に表現しているのです。

 日本語にはこう言う様に、生かされる大自然の命の根源を神仏と崇め、共存を意識する「随神(かんながら)」の文化があります。日本人は、一神教の人から信仰がないと批判されますが、敢て「私は此の神仏を信じています」と主張しなくても、実は自然に神仏や先祖と共に存在し乍ら、常に懺悔と感謝を忘れない、美しい魂を持った民族なのです。その精神が日本語にも表れていたのです。しかし現在では、西洋の人間中心主義の弊害を受け、神仏をすら小間使いにするような、自己の権利ばかりを主張する民族に成り下がってしまったようであります。

空外上人のみおしえ

 空外上人は、その様な自己同一性を失いかけている我々日本人に、本来の日本人の霊性を、人間としての在るべき姿を取り戻すべく、西洋哲学・西洋の宗教を含め、仏教そのものを、日本語の教えとして初めて開示なされたのです。

 曰く、

生きられるおかげの深さを、勿体ないと拝む(悟る)のです。

生きられるお蔭のありがたいことは、どんなにでも深く悟れます。

おかげさまに手を合わせて生命の根源につながる有り難さ。

量られないいのちの根源に帰依し、吾々が生きられるおかげに頭を下げれば、広い深いいのちの味わいが味わえるのです。

人間が本当の人間として生きるのには、生れて来たお蔭を念ずるより他はないのです、拝むことしかないのです。

迷いは、生命の原点に通じさえすれば、生きられるおかげに手を合わすことができさえすれば、自ずと消えていきます。 (『大師さまの心』於多聞院)

 宗教用語を用いずに、真の宗教心を表現されています。

日本的仏教霊性の目覚め

 仏教が日本に伝来したのは、欽明天皇在位の五三八年だとされます。しかし平安時代までは、貴族、僧侶等一部の特権階級の人達の安寧、或いは国家の為の仏教でした。それを阿弥陀仏の本願として、平等往生の故に、すべての人々に南無阿弥陀仏の救いを届けようとされたのが、浄土宗の開祖法然上人でした。これは仏教の民主化という意味で日本の宗教革命であり、仏教における日本的霊性の目覚めの第一歩でありました。

 最易行でありながら称名念仏 ( ことば ) の最勝性に依って、全ての人の救いの可能性(霊性開発)の必然が現実に実証されたのです。その後鎮西上人、西山上人、親鸞聖人、一遍上人、蓮如聖人等が念仏を日本中に広め、また日蓮上人も「唱題目」、「南無妙法蓮華経」を唱える(声の仏教としての)重要性を、また只管打坐の道元禅師さえ帰依三宝「南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧」を暇なく唱えよとの常称(声の仏教)を、後に、その流れを汲む良寛さんまで、南無阿弥陀仏を常に称え悦ばれるという、易行としての声の(いのちの根源を念ずる)仏教が日本全土隅々にまで行き渡り、それがやがて日本人一人一人の生活となって行くのです。

 鎌倉時代以降は、そのように念声是一(ねんしょうぜいち)「念と声は是れ一つなり」として、声と心には深い連動性がある故、仏教における真実のことばを使うことに依って日本人の霊性が大きく育まれてゆきます。

日本的仏教霊性の開花

 やがて室町、戦国、安土桃山、江戸、明治へと時代の移り変わりゆく中にも、「なんまんだぶつ」が日常の要語として浸透し、生活そのものが自然に仏作仏行・随神(かんながら)に繋がってゆきます。そして念仏の心(阿弥陀仏のおかげ)を頂いた日本人は遂に、その喜びを「なんまんだぶ」「ああ勿体ないなぁ、有りがたいなぁ、おかげさま」と日本語で、自分達の言葉で、自我の砕かれた心を表現するようになって行ったのです。これこそが日本人の仏教の霊性開花の時でありましょう。それらは専ら妙好人といわれる真宗の門徒に多く見受けられますが、近江門徒といわれる近江商人が「おかげさまで、ありがとうございます」と、救われた(いのちのおかげに目覚めた)歓びを日本語として自然に発露するようになり、それが全国で広がっていきます。「(あみださんに)...させて頂きます」という表現も近江門徒が好んで用いました。

おかげさま

 そしてその集大成として、昭和の時代に、念仏の哲学者山本空外上人は、西洋的霊性の「一者(いちなるもの)」や、あらゆる宗教の神性をも、" 量ることが出来ない(a=無・mita=計量)いのちの光 " を表現すことば である 仏教の「阿弥陀(アミタ amit ) 」 に収め、その「いのちのおやさま・生かされる命の根源」を「おかげさま」と日本語で表現されたのです。

随縁成染浄 

 空外上人は『華厳五教章』の「随縁成染浄」という言葉を好んで揮毫されました。「縁に随って染浄を成就する」とは、良いことも悪いことも、すべてに「おかげさま」と神仏を見出だして拝んで行く生き方です。病気になって初めて、今まで健康で居られた事の有難さを知ると共に、今生かされて在ることが奇跡であったことに気づけたり、大切な人を失った悲しみの中に初めて、今まで気づく事すら無かったおかげに出会える事もある訳です。どのような悲しくつらい出来事に出会っても、決して絶望するのでなく、また他人と比較するのでもなく、ただ自分をもうほんの少しだけ掘り下げ、その中に気付き得る「おかげさま」に手を合わせ、どんなことをも自分なりに昇華して前に進んでいく事を「染浄を成ずる」と言い、それを「往生浄土」の生活と言われました。

浄土教の新しい意義

 近代では先ず、空外上人の師である弁栄上人が、近世までの浄土教を、死後の事だけに限らず、現在から死後にも通じる光明の生活、いのちの大ミオヤと共に生きる生活として、浄土教の新しい意義を、念仏三昧を通し見出されました。そして空外上人は現代の言葉でそれを語られます。実体験を通された悟境を再度インド仏教の原語に基づけ、日本で概念化してしまっている従来の浄土教の用語に、新しく本来の意味を吹き込まれたのです。

阿弥陀

 阿弥陀とは、原語でamit (アミタ)と言います。量ることの出来ない、大自然のいのちのおかげさまのことです。空外上人は「生命の原点、生きられるおかげの総まとめがアミダさま」であると仰います。 (『空外の生涯と思想』p168)

 仏とはbuddha(ブッダ)の事です。Budh(悟る)+ta (過去受動分詞) ですから、本来は、「悟らせていただいた」と過去の受身で訳すべき言葉です。空外上人は「大自然のいのちが、自分の心の中で一つに繋がる」事であると仰います。(『いのちの讃歌』p31)

南無

 南無はnamas(ナマス)で、インド人が現在でも挨拶で使っている言葉で、頭が下がる、拝むことです。空外上人は「拝むというのは、自分が偉そうにしないという事で、そうするといのちの根源が、自分なりに感応してくる。それが涙を抑えられない位ありがたいのです。一日でも生きられることが勿体ないなぁと思うのです」と仰います。 (『上仝』p47)

南無阿弥陀仏

 「南無阿弥陀仏」を口に称えるという事は、大自然の生きられる命の根源(阿弥陀)に頭が下がり(南無)、おかげが心に悟られてくる(仏)ことです。念仏三昧とは、「常に生かされるいのちの根源に懺悔し、感謝し、大自然のおかげを自分なりに生きぬく」事と解釈されておられます。(『空外の生涯と思想』p163)

極楽

 極楽とは、原語でsukhāvatī (スカーヴァティー)と言います。良い天気(お天道さま)に恵まれることを幸せと感ずる状態の事です。酷暑の農業国インドの人々にとっては自然に恵まれること(太陽が照らし、雨風時を以てすること) はこの上ない喜びであり、楽しみでありました。極楽とは決して死後の何処か別の場所ではなく、天地自然がおかげさまであることに勿体ないなぁと気付ける今の心(此処を去る事遠からず『観無量寿経』)の事を言うのです。正にナムアミダブツするところが極楽なのです。空外上人は「自然のおかげで生活が恵まれ、命を保つことのできることの楽しみ」と言われました。(『念仏はいのちのうたごえ』p321)

往生

 往生は原語でpratyājyāyate (プラティヤジャーヤテ)と言います。再生の意です。空外上人は日々の往生 (再生) と受け取り、「いのちの根源・アミダさまのところへ往く」(『自然のくらし 七宝』p12)ことは、「どんなことに出会っても、尻もちをつかずに、前へ前へと日々生まれ変わって、大自然の命を自分なりに全うして生きる」(プラティ=前へ向かって/ ア=力強く/ ジャーヤテ=生きる)日々是好日の生活と解釈されています。(『いのちの讃歌』p46参照)

浄土

 浄土とは、「土とは国土、国土とは毎日の生活。計算から離れると浄らかになる、その浄らかな生活を浄土というのです」と仰います。 (『一枚起請文の心』p23)

 すべて、死後の事でなく、今現在の生き方として、当たり前にしてしまっている事柄に込められた、無上の勿体なさに気付き味わえることの悦びを説いておられるのです。

法然上人一枚起請文

 浄土宗の開祖法然上人の最後のお言葉で、浄土宗の肝要を述べた一枚起請文の「智者の振る舞いをせずして、ただ一向に念仏すべし」は、空外上人がよく使われる哲学用語で言えば、プロティノスの「感覚に散乱せずして、自己の同一点(いのちのおかげ)に(想いを)統一する」事でありますが、それを解り易く「天地大宇宙いっぱいの生かされるおかげの深さ・有り難さに常に心を掛け、勿体ない、有り難いと、良きにつけ悪しきにつけ出会う全てを、一息一息お蔭さまと頭が下がり、自分の持ち分だけ力いっぱい働かせていただくこと」と受け取っておられます。( 『上仝』p43~57)

平等往生

 そして、『無量寿経』の如来光明歎徳章に「それ衆生ありて、その光明の威神功徳を聞いて、日夜に称説して至心不断ならば、意の所願に随いてその国に生ずることを得」(※註)とあるように、大自然のいのちの根源と一つになっていく心の深まりは、実は各人によってその感応の度合いがそれぞれ異なります。

 それは例えば弁栄聖者もこの経語を「自分の麗しき宗教心が発達すれば霊的人格の如来を欣慕して忘るること能わざるにいたる。実に如来の御図らいは不可思議なりて、たとい命を捨てても現世に於いて仏を見ることを恋慕う者には、此処に現じて説法し、又此の世に於いてはとても及ばずとて彼処に到りて現在説法の会に列ならんと望む者の為には、彼処に於いて見奉ることを得る。実に如来の在(ましま)さざる処なき故に、父子相見の機縁熟したる処に於いて面見することを得」(『宗祖の皮髄』84頁参照) と解説しておられるように各々の意の願う所に随って合一の度合いは異なって行きます。

 しかしその一人一人が一人一人なりに法然上人の仰る「ただ一向に念仏すべし」の行を行じていくこと、観念や他との比較等に左右されるのでなく、 即ち念仏による懺悔と感謝の喜びを各々の生活上に実現していく事が最も大切なのです。口先や観念の念仏に終わらない為に、日常化され、生活化され、そして身体化された、命のおかげを拝む心そのものの、清らかな生活が重視される所以です。
  (※註 最終的に此の意は、如来の意と受け取れます。)

浄土教義の新解釈

 繰り返しになりますが、「大宇宙のいのちを生かさせて頂く命のおかげ(阿弥陀仏)を心の底に悟り(決定)、本当にありがたい日暮らしをしながら(極楽)、大宇宙のいのちを呼吸し(南無阿弥陀仏)、大宇宙を此の自分が生きていくという方向にくらし方を深めていく(往生浄土)」という生き方(『念仏為先その三』p12~13)、そういう生き方をしていれば、人は死んでも極楽浄土しか往きようがないのです。何故なら、生きている内から阿弥陀様に常に一緒に生かされていることを知っているからです。心は既に浄土を感じているのですから、往生は間違いなく決定しています。

 それが、仏教の根本である縁起・空を生きる事であり、南無阿弥陀仏を称える事であり、霊性を開花させる事であります。

 決して難しい宗教や哲学が必要なのではありません、誰でも、何処に居ても、どんな人であろうと、生きているすべての人が、今生かされているおかげに常に懺悔と感謝を捧げる生活(念仏三昧)をしていくことが、自分の命を開花させることに繋がり、それがいのちの目的なのです。

おかげさまの行者

 空外上人はいつも、「仏様を拝むことは自分を拝むことである、自分を拝むことは仏様を拝むことである」と、仰っておられました(『念仏と生活』p15)。 お風呂に入る時も、夜中に目が覚めた時も、必ず「勿体ないなぁ」「ありがたいなぁ」と手足を擦ってお念仏しておられたそうです。横断歩道を渡る時も、右を見て左を見て、また右を見て確実な安全を確認してからでなくては、絶対に渡られなかったそうです。それは自分の命を仏様の命として本当に大切にして拝んでおられたからでしょう。口先ではなく、本当にいのちのおかげを行じた方であったのです。

現代の法然上人

 鎌倉時代、智慧第一と誰もが疑わなかった法然上人が、すべての人々の真の幸福の為に、全仏教を「知者の振る舞いをせず、唯念仏して往生する」事に純化されたように、現代に山本空外上人が、古今東西の宗教・哲学を包括し、同様にすべての人々の救いを南無阿弥陀仏に収めはし乍らも、各人が「おかげさまへ感謝して、いのちの根源に還る」事に純化して、宗派宗教の枠をはずして、その彼方の霊性の世界を、現代の日本語で誰にでも解るように語られたのです。これは我々にとって心の闇を破る光そのものであり、全ての日本人の霊性を開花させるものです。その功績は、正に現代の法然上人と呼ばせて頂いても過言ではないと思います。今後日本中に山本空外上人の「無二的人間(すべてを生かしていく生き方)の形成」のお考えが念仏によって本当に行き渡る時、真実の平和が世界に訪れると信じて止みません。 

 今回の遺墨展がそのきっかけになるであろう事を喜び、少しでも関わらせて頂けたことを感謝しております。               合掌

          『無二的人間の形成 山本空外上人展』(平成30年3月30日初版 参照)