長谷川よし子先生

明治40年11月23日~平成8年3月14日 88歳 


弁栄聖者直弟子青柳智月法尼の実子大庭よし子氏は、大正9年8月12日に応称院にて弁栄聖者を戒師として得度を受け「栄月」と名を与えられたが、昭和11年千葉の浄土宗檀林大巌寺住職であり淑徳大学を設立された長谷川良信上人との御結婚により還俗された。しかしその後も唐沢山阿弥陀寺の別時念仏会をはじめ自宅や各地別時会の世話をされながら、聖者の念仏信心の内に社会活動に従事された。

私の人生を語る

―  社会事業と教育に生きて  ―


※長谷川よし子先生の述懐に、実父母は永谷要蔵・のぶ様で永谷家三女として出生したとあります が、永谷家の親類の方から伺ったところ実際にはそのような事実はないそうです。よし子先生は、弁栄聖者の直弟子となられた青柳智月法尼の出家する前の、青柳とし様の大切な実子でありましたが、弁栄聖者はこれから出家し修業する者に子がいては具合が悪かろうから、姉弟子にあたる法城寺初代庵主 永谷法蓮法尼の実家の子(弟の子)として扱った方が良かろうということで、聖者のご指導の下そのように話がまとまったそうです。よし子先生は諸事情を鑑みて、それらのことは敢えて伏せておられたようです。 (同本19頁参照)

また法蓮・法栄のお二人の法尼は幼くして法城寺に入ったとの記述がありますが、実際は法城寺の歴史はそれほど古くなく、既に出家されていたお二人を石川市郎氏が開基時に招聘されたというのが事実であろうと思われます。 (同本20頁参照)