弁栄聖者開山のお寺
天王山 唯称院 法城寺
如来光明三昧堂 弁栄庵
ナムアミダブツ、ナムアミダブツの一声ごとに生きられる生命のおかげに頭が下がり、自己のいのちの故郷に心の窓が開かれていく時、生かされているおかげの深さが生命の智慧の光に照らし出され、大自然のいのちのおかげを今生きているという深い悦びが一人一人なりにさとられてゆきます。 それを往生極楽の生活と言います。
当寺は、現代のお釈迦様と仰がれた弁栄聖者の御指導を頂く為に、篤信家石川市郎氏が愛知県碧南市自宅敷地内にお寺を開基し、明治32年聖者を開山上人として招聘(しょうへい)されたお寺です。
令和元年12月4日聖者百回忌を迎え、全国より二十数名泊り込み、10日間の報恩別時念仏を勤めました。その折 聖者の御聖霊(みたま)を導師にお迎え致しましたので、聖者にそのまま御鎮座頂き、百周年に当たる令和2年よりその御聖霊(みたま)に住持の職(住職)を返上し、日々聖者のご指導を仰ぎながら、法城寺を開基の原点に還して、「弁栄さまが今現に活きて在(まし)ます庵」弁栄庵として如来光明三昧道場の新たな一歩を踏み出しました。
如来光明三昧の道場
宇宙の真理は悉く十二光によりて尽くせり よって如来光明三昧を以て主義とし奉るなり
仏陀禅那弁栄は如来光明主義の預言者である
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浄土教の本意
浄土宗・浄土真宗・時宗・如来光明主義等に関わらず、或いは他力・自力に関わらず、或いは請求・報恩・見仏に関わらず、称名・聞名・憶念みなともに、① (数珠を手で繰りながら)口に常に南無阿弥陀仏が出て、耳から御入り下さる、すなわち常に南無阿弥陀仏のお心を離れない事が、②みほとけの御本意 ( ミオヤの深いおかげの御膝下(おひざもと) で、我らの心を直ちに更正すること ) となります。
常に ( 耳から入るために ) 口からナムアミダブツ様が出て下さる為の 現代版携帯三種品の御紹介
如来(からの)光明( 光名 )三昧【大ミオヤが片時も離れず念々に私を念じ詰めに念じ詰め、今も私を待ちきれず遂に此処に、南無阿弥陀仏と迎え来て下さっておられるお姿 】 を知らされ、ミオヤに生かされるいのちのおかげに我が心を転依する為の方便の道具です。
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