弁栄庵

弁栄聖者今現に活きて働いておられる庵

弁栄聖者の伝記『日本の光』(田中木叉上人編)に法城寺の記載は数ヵ所ありますが、開山の記述はありません。ご縁の浅からざるお寺という認識はあるものの、直弟子木叉上人ですらそのことをご存じありませんでした。関係者以外ほとんど知る人のない事実です。弁栄聖者の法灯が消えてしまってからの法城寺は、律寺貞照院末寺の庵寺という立場からついぞ離れ得ることはありませんでした。

 【法城寺の原点】 聖者への嘆願書と開山書

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ところが、十年前聖者の90回忌の年12月4日から市郎氏と聖者の御回向を如実に感じる様になります。翌年から毎月4日に別時念仏会が始まり、14日善導大師月忌に報恩念仏会が始まり、25日法然上人月忌にお念仏勉強会と、全て自然発生的に始まりました。その他岐阜弁栄上人記念館や光明会とのご縁も生じ、聖者の所蔵品も急速に増えていきました。

数年前、光明会・眞生同盟・相模原光明学園・為先会など弁栄聖者を讃仰する各団体が一つになり、「弁栄上人讃仰会」が結成され、令和元年聖者百回忌を迎えます。5月には相模原光明学園で百回忌法要、東京両国回向院では為先会が遺墨展を、10月には眞生同盟が増上寺で念仏フェスティバル、京都では光明会の勢至堂別時念仏会が勤まり、そしていよいよ正当日を迎え、当寺でも為先会の若き僧侶を中心に7日間(有志は10日間)の報恩別時念仏会を勤修致しました。

為先会の別時念仏会は毎年1週間各地で開催されているのですが、忍澂上人の念仏三昧八誓を基にしており、念仏以外無言の如法別時会です。法然上人八百回忌別時会以来、必ず法然上人を御導師に迎え勤められていましたが、今回は弁栄聖者百回忌の為、聖者を御導師に迎えてのお別時となりました。それが大変ありがたく、百回忌を機に、そのまま聖者に御導師として鎮座頂く事を祈念し、法城寺開山の原点に還って住持の職を聖者の御聖霊(みたま)に返上し、令和2年より聖者の活きた御指導に身を委ねるようになりました。

聖者開山の寺院・お堂は全て聖者の三昧仏を本尊(御前立を含める)としているのに倣い、先ず、複製ではありますが、聖者の阿弥陀如来三昧仏軸(写真)を御前立として正面に掲げました。

此の三昧仏は、平成26年聖者95回忌の年の事でありましたが、聖者の遺墨調査で新川の閑楽寺へ伺った際、法城寺で修行され、後に閑楽寺住職になられた貞月尼が、昭和11年聖者の17回忌に光明会で市販された複製三昧仏軸を購入、御自坊の念仏会で大事に使用されていた御軸です。遺弟である現住職が「是非法城寺で此の三昧仏を使って下さい、貞月尼もその方が喜ばれますから」と譲渡して下さったものです。突然の御申出に一度は辞退致しましたが、これは聖者と貞月尼が法城寺で使うようお与え下さったのだと受取らせて頂き、弁栄庵の新しい本尊として祀らせて頂くようになりました。また、百回忌法要に合わせて作った『新訳礼拝儀法城寺版』を、全てのお勤めで拝誦しながら、聖者御指導の下に、霊性を育まれています。