聖徳太子

敏達天皇3年(593)1月1日~推古天皇30年(622)2月22日

― 和国光明主義の祖 ― 

「我国に於いて霊の光明を以て国民の精神を闇の中より救い出せし神人(しんじん)である。...太子は西方浄土より来生(らいしょう)して全てをミオヤの光明に誘引(みちびき)給う権化の聖者である。光明主義の主唱者である。さればミオヤの光明を仰ぎて光の生活を希う者は、太子の行伝を知(し)るべきである」(弁栄聖者『不断光』「仏法物語」参照)

憲法十七条


一に曰く、和を以て貴(とうと)しとなし、忤(さから)うことなきを宗(むね)とせよ。人みな党(たむら)あり、また達(さと)れる者少なし。是を以て、或いは君父に順(したが)わず、また隣里に違う。然れども、上和(かみやわら)ぎ、下睦(したむつ)みて、ことを論ずるに諧(かね)えば、即ち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

 

二に曰く、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは仏・法・僧なり。則ち四生(ししょう)の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人か、是の法を貴(とうと)ばざる。人、尤(はなは)だ悪しきは鮮(すくな)し。能(よ)く教うれば従う。其れ三宝に帰せずんば、何を以てかまが)れるを直(なお)くせん。


三に曰く、詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹(つつし)め。君(きみ)は則(すなわ)ち天たり、臣(しん)は則ち地たり。天覆いて地載せて、四時順行し万気通ずることを得。地、天を覆わんと欲せば則ち破るることを致さんのみ。是を以て、君言(きみのたま)えば臣承け、上行えば下靡(なび)く。故に、詔(みことのり)を承けては必ず慎め、慎まずんば自ずから破れん。


四に曰く、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう) 、礼を以て本と為(せ)よ、其れ民を治むるの本は要(かなら) ず礼に在り。上礼あらざれば下斉(ととの) わず、下礼なければ必ず罪あり。是を以て、群臣礼あれば位次(いじ)乱れず。百姓(ひゃくせい)礼あれば国家自ずから治まる。


五に曰く、餐(むさぼり) を絶ち欲を棄てて、明らかに訴訟(うったえ) を弁(さだ) めよ。其れ百姓の訟(うったえ)一日に千事あり。一日すら尚爾り、況や歳を累(かさ)ぬるをや。頃(このごろ) 訟(うったえ) を治むる者、利を得るを常となし、賄(まいない) を見て讞(うったえ) を聴く。便(すなわ) ち財あるものの訟は、石を水に投ぐるあ如く、乏しき者の訴えは、水を石に投ぐるに似たり。是(ここ)を以て貧しき民は、即ち由るところを知らず。臣の道、またここに闕(か) く。


六に曰く、悪を懲(こら)し善を勧(すす) むるは、古(いにしえ) の良典(よきのり) なり。是を以て、人の善を匿(かく)すことなく、悪を見ては必ず匡(ただ) せ。其れ諂(へつら) い詐(いつわ) る者は、則ち国家を覆す利器たり、人民を絶つ鋒剣(ほうけん) たり。また侫(おもね) り媚(こ) ぶる者は、上に対しては則ち好みて下の過ちを説き、下に逢いては則ち上の失(あやまち) を誹謗(そし) る。其れ此(か)くの如き人は、皆君に忠なく、民に仁(じん) なし。是れ大乱の本なり。


七に曰く、人には各(おのおの)任あり。掌(つかさど) ること宜しく濫(みだ) れざるべし。其れ賢哲官に任ずれば、頌音(ほむるこえ) 則ち起こり、奸者(かんじゃ) 官を有(たも) つときは、禍乱(からん) 則ち繁し。世に生まれながら知るもの少なし、尅(よ) く念(おも)うて聖と作(な) る。事大少となく、人を得れば必ず治まり、時急緩(きゅうん) となく、賢に遇えば自ずから寛(ゆるやか) なり。此れに因って国家永久にして、社禝(しゃしょく) 危うきことなし。故に古(いにしえ) の聖王(せいおう) は、官のために人を求め、人のために官を求めず。


八に曰く、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう) 、早く朝(まい) り晏(おそ) く退(さが) れよ。公事(こうじ) は盬(いとま) なし、終日(ひねもす) にても尽くしがたし。是を以て、く朝(まい) れば急に逮(およ)ばず、早く退(さが) れば必ず事尽さず。


九に曰く、信は是れ義の本なり。事ごとに信あれ。其れ善悪成敗(せいばい) は要(かなら) ず信にあり。群臣(ぐんしん) 共に信あらば何事か成らざらん、群臣信なくば万事ことごとく敗れん。


十に曰く、忿(こころのいかり) を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄て、人の違(たが)うを怒(いか)らざれ。人皆心あり、心各(おのおの) 執るところあり。彼是(ぜ) とすれば則ち我は非とし、我是(ぜ) とすれば則ち彼は非とす。我必ずしも聖(せい) に非ず、彼必ずしも愚に非ず、共に是れ凡夫のみ。是非の理、詎(なん) ぞ能く定べき。相共に賢愚なること、鐶(みみがね) の端(はし) なきが如し。是を以て、彼の人瞋(いか) ると雖も、還って我が失(あやまち) を恐れよ。我独り得たりと雖も、衆に従って同じく挙(おこな) え。

 

十一に曰く、明らかに功過(こうか) を察して、賞罰必ず当てよ。このごろ賞は功に於いてせず、罰は罪に於いてせず。事を執る群卿(ぐんけい) 、宜しく賞罰を明らかにすべし。


十二に曰く、国司(こくし)・国造(こくぞう)・百姓(ひゃくせい)より斂(おさ) めとることなかれ。国に二君なく、民に両主なし。率土(そつと)の兆民は、王(きみ)を以て主となす。任ずるところの官司(つかさ)は皆是れ王臣なり。何ぞ敢て公(おおやけ)と与(とも)に、い百姓より賦(おさ)め斂(と)らん。


十三に曰く、諸々の官に任ずる者は、同じく職掌(しょくしょう)を知れ。或いは病み、或いは使いして、事を闕(か)くことあらん。然れども、知ることを得る日には和すること曽(かつ)て識れるが如くせよ。其れ与(あずか)り聞くこと非(な)しというを以て、公務を妨ぐることなかれ。


十四に曰く、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう) 、嫉妬あることなかれ。我すでに人を嫉めば、人も亦我を嫉む。嫉妬の患(わずらい)、其の極みを知らず。所以(ゆえ)に智、己に勝る時は則ち悦ばず、才、己に勝る時は則ち悦ばず、才、己に優(すぐ)るる時は則ち嫉(ねた)み妬(そね)む。是(ここ)を以て、五百歳の後、乃今(いまし)、賢に遇うとも千載にして一聖(いっせい)を待つこと難し。其れ賢聖を得ずんば何を以てか国を治めん。


十五に曰く、私に背きて公に向うは、是れ臣の道なり。凡そ人、私あれば必ず恨みあり。憾(うらみ)あれば必ず同ぜず、同ぜざれば則ち私を以て公を妨ぐ。憾起これば、則ち制に違(たが)い法を害(そこな)う。故に初章に云わく、上下和諧(わかい)せよと。其れ亦是の情(こころ)なる歟(か)。


十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古(いなり。にしえ)の良典(よきのり)なり。故に冬の月には間(いとま)あり、以て民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑(のうそう)の節(とき)なり、民を使うべからず。其れ農(たつく)らずば何をか食(くら)い、桑(こがい)せずば何をか服(き)ん。


十七に曰く、夫(そ)れ事は独り断ずべからず、必ず衆とともに宜しく論ずべし。少事は是れ軽(かろ)し、必ずしも衆とすべからず。唯大事を論ずるに逮(およ)びては、若し失(あやまち)あらんことを疑う。故に衆とともに相弁ずれば、辞(ことば)則ち理(ことわり)を得ん。