弁栄聖者と法城寺

『弁栄上人書簡集』(山本空外上人編集)より法城寺に関連のある部分を掲載いたしました。山本空外上人が法城寺の聖者書簡等を取材されたのは昭和58年のことですので、昭和44年に発行されたこの本には当寺所蔵の聖者の書簡は入っておりません。当寺より投函された書簡のみであります。

20、明治38年に法城寺から出されたお手紙ですが、ここに弁栄庵の教えの根幹が説かれております。往生とは心の更正のことです。 

191、大正8年2月 高崎市宛の葉書を見ますと、聖者が遷化される前年にも法城寺に滞在して念仏三昧会を催されていたことが分ります。当日は午前中10人ほど、午後は40人ほどの参詣があったようです。

119、三重県光徳寺様への書簡には、大正4年法城寺にて講習会を開かれた記録もあります。近隣の御縁ある方々をも積極的にお誘いしておられます。また光徳寺さまによれば、心光団の寄付金でオルガンを購入されたとのことですので、そのように各地でオルガンを購入してもらい、来錫される先々で聖歌の伴奏に御使用になられたようです。

『弁栄上人書簡集』(山本空外上人編)法城寺関連書簡 

二〇、用紙 巻紙 一四二頁

封筒 表 愛知県海東郡津島在大字諸桑鈴木元善代様方 鈴木弁教様

消印日付 明治三十八年四月二十九日

裏 碧海郡新川町法城寺にて 山崎弁栄

如来の御めぐみをうくるにつきて、解脱霊化という二つの義あり。解脱とは、如来の御めぐみによりて衆生の心にある垢質をのぞきさるはたらき、霊化とは、きよくしてうるわしき心に化成するはたらきであります。

元来人間の心には仏性とてきよき性と、煩悩のあしき素質と両方具わりて、その煩悩をまた俗に気質とも申して、そは丁度米に糠糟のあるようなものにして、その気質に神経質もあり、また気の短きも長きも、気のはやいも、物を苦にする、腹をたつ、ねたむ、にくむ、うらむ、あまり無頓着、また頓着すぐるなど、そはさまざまにして十人は十人格別である。それらはみな、聖経の中の三垢といううちにおさまりてある。その心の垢質をのぞきさるのには、如来の光明による外に道がありませぬ。聖経に、此光にあうものは三垢消滅し、身も意も柔軟にして善心生ずと説玉いし。

いかがしてこの光にあうことが出来ましょうと云えば、至心に不断に如来の御慈悲の相好光明に意を注で一心に念じ、あけてもねてもさめても念をかけて、而して心に念容して、如来よあなたの尊き御思召を私の心のうちにあたえ玉えと、自身のわるき心をば如来にささげてしまい、あなたのきよきみこころをわたくしに玉えと、如来現にここにましますと信じて、行住坐臥に祈念するときは、漸々にあなたのきよき思召が自己の心に感じられて、気質のわるき質はいつしかのきて、きよき心に化するなれ。是まったく自身の力にてはなく、如来のたまものなれば、ただただ如来の御めぐみの光をあたえ玉えとのみ念じ、如来のためには衆生の可愛ゆき子にてあれば、必ずミオヤの如来は、子のためにはいか成慈悲をも玉うなれば、疑わず慮からず一心に御慈悲をうくることにのみ心をかけなされ。屹度如来はその気質をのぞきさりて、いか成ことにも恐ることなき大丈夫の心を化して下さることうたがいなし。

往生 往はかわるとよみ、生はうまる、すなわち生まれ更りのことなり

往生は生れ更りと申しますれば、生れ更りに二種あり、一には精神の生れ更り、二には身体の生れかわり。

こころの更生と云うは人の生まれつきの心は、わがままにてよきものでなく、物を苦にし、いろいろの気質のためにまどわされて、自身で自身をせめ、また人に対してもへだてがつきなどして、気質のかどがあり、円滑に人ともゆかないのである。それをば如来の御めぐみの光りにのぞきさりて、まことに平和なやすらかな心によみがえることができるのであるけれども、如来の大なる力をあてにせずして、自分はかような生れつきの気質であるからしかたがないと自分からきめてしまうから、気質がいつになってものぞくことが出来ず、一生はかなきひぐらしをするのであります。それを生れ更りてよきひぐらしにして下さるのが如来の御めぐみの光であります。

人の生れつきの気質というのは取り除くためについて居るのであるから、それを取てよき生活(ひぐらし)させるのが如来の真の思召であるから、まことに如来の御慈悲を信じて、心の生れ更りとなりて、此世から心だけは極楽のひぐらしに成りなされよ。

あみだ如来のいます処はとても極楽である。今あなたが自分の気質をすてて一心に如来を念ずるときは、そのこころのうちに如来は在ますなり。心のうちに如来ましませば、こころのうちが直に極楽のおもいとなりて、かたじけなくよろこばしき日ぐらしが出来る。それを真宗の開山上人(親鸞聖人)は、和讃に、超世の悲願を聞きしより、我らは生死のぼんぶかは、有漏の穢身はかわらねど、こころは浄土にすみあそぶ、とはすでに生まれ更りし心の状態をのべられたのである。

如来の大ミオヤは特別に其御身を愛したまいて、はやくに心の生れ更りとして広き大なるこころとして、いか成ことにも恐れ怖るることなき平和なる極楽の心のひぐらしさせようと深くおぼしめしのあるにもかかわらず、あなたが自身と気質を大事にしてすてかねてこそ自分と其御身をまでなやめて居らっしゃるではありませぬか。

一そう思いきって、いままでのこころをころしてしまって、如来の大なる御めぐみのなかなるこころ、即ち如来の御こころによりて生れかわりなされませ。そーなりし時より、もはや身はここにありながら、極楽の聖衆のかずに成りしのであります。

それをあなたは、からだが死なぬうちは、心の生まれかわりはできぬものとして、自身からきめて置くためにさっぱりと心の生れ更りが出来ませぬのであります。

如来の思召にまかせて心の生れ更りとなりて、身はここにありながら、菩薩の中に加わりて見れば、それからはなすことすることみな極楽の菩薩のしごととなるので、一生補処の願にかなう仕事となるのであります。其ほうがよほど徳ではありませぬか。

心が生まれかわりて、御めぐみの中によろこばしくくらさるる時には、自ずと身体もすこやかになり気も丈夫になりてゆくことは必然であります。一つ思いきって御やりなされ。きっと如来があなたの心を生れ更りにして下さること疑いありませぬ。而してこの世にありて、はや極楽のつとめをする時は、此身体の生れ更りによりて正しく浄土に生まれし時には、此世にてつとめしだけ位が上へ進むのであります。此世界にて一日一夜のつとめは、極楽へ往て百歳の功をつもるにもすぐれたりと大経に説玉いしにありませぬか。

兎まれ一心にみだ如来に御まかせ申上なされ

碧海郡新川町法城寺にて

四月二十九日 山 崎 弁 栄

鈴木弁教様江

憂き事のかさなる身こそ嬉しけれ 世をいとうべき便りと思えば

かりの身は兎にも角にもみ仏に まかすこころにやん事ぞなき

可愛くば五つ教えて三つほめて 二つしかってよき人にせよ


一〇、葉書表 千葉県東葛飾郡手賀村鷲谷 山崎嘉平様 一〇五頁

三河国碧海郡新川町法城寺 山崎弁栄

消印日付 明治三十六年四月七日

拝啓其後は御無音候。御老父母御機嫌克御一同御清栄慶賀斜ならず候。此ほどの善光寺にて御忌執行のことの御報承知候。必ず二十日頃までには帰郷心算候間御安心被下度。扨て帰省の際拝伺万々可申上候。

よろこびの光りのほどをおもほえばいかばかりかはうれしかりけり



六一、葉書表 尾張国海部郡津島町在大字諸桑鈴木元清様方 鈴木弁教様 二四〇頁

碧海郡新川町法城寺にて 山崎弁栄

消印日付 明治四十二年十一月二十二日

如来の大なるめぐみによりて聖きに清きにきよめられし吾同胞なる鈴木弁教尼きみよ。

先つ頃はあなたの御紹介により、きよき吾が同胞とかたりあうことを得たるはまことに悦ばしき処、我は吾大ミオヤなる如来の聖旨に由る処として深く感謝し奉る。

さて此頃の御寒さにいかが御くらしなされ玉う哉。見真大師(親鸞聖人)の北越の雪を凌ぎての御教化中、

寒くとも袖につつまむ西の風 みだの国より吹くとおもえば

たとえ寒風肌をつらぬくさむさにも、よりはあつき信念だにあらば、そは物のかずかはとおもわるるならむ。然れども斯る熱誠なる信念はまことに得がたきことに候。只々日々御慈悲の光のなかによろこびて、感謝のつとめをすることをこそねがわしけれ。

御母さまにも宜敷願候。



一一九、用紙 半紙 三七一頁

封筒 表 光徳寺様

裏 佐屋あみだ寺にて 十七日 山崎弁栄

蔵者いう、「大正四年春の御書簡であり、なお文中の御寄付金にて会の為オルガンを購入し、御巡錫の節には御自ら『きよきみくに』をおひきなされしこともある」と。

欽啓 過日御書簡の心光団資の内半額云々との仰なれ共、矢張全部御地の団基に備え置下され度候。

次に本日二十日より三河国碧海郡新川法城寺に於て有志の為に講習会を開き候間、参考の為差支なくば御出下さるように御勧め申進候。

鉄道便は東海線刈谷にて乗換、三河線新川駅下車凡そ十丁余にて候

先は御勤め旁々如斯に御座候。和南

十七日 弁 栄 



一五一、用紙 半紙 四五〇頁

封筒 欠逸

欽(つつ)しみて復候。大ミオヤの慈しみを伝えるために此処彼処めぐりしに、大いに延引に相成候事慚謝に耐えず候。梢春和の候に相成候 今云何被為在候哉。御書翰によれば、御病気の如何にも拘らず聖き道にますます御進みなされ寔(まこと)随喜に勝得ず候。

五井君よ、憎む可き病魔のために襲われしは何とも同情に勝(た)えず候えども、それでも貴重なる光陰を悶のなかに埋めてしまうようなことはせずに、還て永遠に霊活すべき聖き道を求め、肉をかえりみず霊に活べき真理を捕獲することあれば、禍も変じて福と成ることにて候。世の人のおもう幸福必ずしも真の幸福ともならず候。たとえ健康にして百年のいのちをたもつとも、ただ徒らに肉の為にほだされて空しく過し候えば、何の所詮かあるべきぞ。

如来は絶対無限の光明なれば、其光明を我物として、如来とは本より親子にて候得ば、親の物は子の物、親の無限の光明が即ち我が心の光と相成候。しかれば如来と共に我が心も宇宙に周徧して残りなく候。

五井君よ、風雨にあらざる限りは人間の建てたせまい家屋より出て、而して大ミオヤのかぎりなき蒼天の青硝子の屋根の大きな住家の中にて、大ミオヤより遣わされし太陽の能力より出ずるオゾンと、それから新しきよき酸素の豊富なる空気を欲しきがままに吸うて、而して人間界の方を見ずして、大ミオヤのまします天つみそらに心を逍遥して、神(こころ)はきよきみ国の人に相成候わば、かえりて宜しき事と存じ候。

実は愚衲ごと、明治三十三年頃ロクマクと肺炎とに患部を構い、少しは咯血もいたし候。神(こころ)を大ミオヤにまかせ、こころを本にして養生いたし候。漸々(ぜんぜん)快復いたし今日の状態に相成候。随分夜を日につぎて二人前已上の仕事をいたしつつとめ居候。是また自分の力ではなく、大ミオヤの御恵に候。

願わくは大ミオヤの慈光の中に平和なる心の御ひぐらしのほどを祈り上げ候。

弁栄拝

五井喜代治君



一六〇、用紙 巻紙 四六六頁

封筒 表 三重県桑名郡富田在天ケ須賀 五井喜代司様

消印日付 大正五年八月九日

裏 愛知県碧海郡新川町法城寺にて 山崎弁栄

酷暑の折其後貴君の御容体は云何に被為在候哉と懸念候処、御端書を光徳寺にて拝見候。御書に就て承れば、長時間に渡りて全力を注ぎ為されて、折角に積累したる要塞を一朝の砲撃に破壊せしとは、云何も遺憾千万実に同情に不耐候。併しながら失敗は成功の基、其経験に鑑み益鞏固なる降魔の策を施し為されんことを希い候。

御書中に身体の健否は精神に及ぼし、精神は身体を支配すと云事に疑いを生ずと云々。実に御尤もに存候。本より仏教に色即是心、心即是色とて、色と物質即ち身体の事にて、身体と精神とは不一不異の関係をもって居り、身体の故障は忽ち精神に及ぼし、身体が其まま精神と迄も見做す事も有之候。而して精神の働きが幼稚なる程、精神が身体に属する関係深く候。例えば人類已下の動物及び人類の幼年者の如きは、身体の外に精神の働きと認むることなき位にて候。而して頭脳の奥の底より高等なる理性が顕動する様に成って、精神が身体を支配するように相成候。尚進んで、霊枢性が正しく顕動するに随って、弥心霊の勢力が高く成りて身体を支配する様に相成候。普通凡夫は精神が身体に支配せられ、進み進みて聖人となる時は、精神の力と格とが非常に高等に相成候。

兼て申演候通り、精神に生理的天性、理性、霊性と三階に分つ時は、天性的の精神は全くすべての動物の共通性にて、身体が其まま精神かと思わっる位なものにて候。若し進み進みて霊性の充分に発達したる聖人の如きは、身体の為に精神を左右せらるることなきが如し。

ソクラテスが従容として毒を呑み、釈迦牟尼仏が六年の苦行身体疲労すれども精神益健全なるが如く、宗教の旨とする処、霊性的精神に宇宙大なる大霊の力を被りて、心霊の力能く自己の肉体を慰安し、肉体を能く扶くるに至るも、天性我は肉体の支障の為に影響を被むること免がれざる処なり。

願わくは大霊の力を我霊の力として、宇宙と共に洪大なる心霊を発揮して、自己の身体を加護せんことをこそねがわしく候。

尚種々申述度事多く候えども、后便に譲り候。延引乍ら貴酬迄如此御座候。匆々頓首

八月八日 山 崎 弁 栄

五井喜代司様

時下柄御自愛を祈候。



一九一、葉書表 高崎市堰代町 桜井登代子様 五三八頁

三河天王法城寺にて 十八日夜 山崎弁栄

消印日付 大正八年二月十九日

御地は寒気云何に候哉。当地は昨今雪もなく、よほど寒気もゆるぎ哉に感じ候。

其のちの御経過云何に哉。御自愛是祈候。

当三昧会も午前は十人位にて午後は四十名位あつまり申候。

先日三橋よりあなたより御おくり下されし事を通知有之、御せわさま謝し候。

知恩院ゆきは云何哉。成べく繰合せ御出なされるよう御すすめ申候。

余御面晤譲り候。匆々