法城寺 携帯 木魚

現代版 携帯 木魚

メトロノーム

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吉水の流れを汲む者は日々の念仏を、在家者は一万遍~十万遍、出家者は三万遍~十万遍称えよとの仰せですが、易行とは言え果たして実際に出来得るものなのでしょうか。法然上人は日に六万遍~七万遍、鎮西上人は五万遍~六万遍、藤原兼実公などは日に十万遍称えておられたそうです。一般にはそこまで出来ずとも最低でも一万遍~三万遍を日課とすることが相続であるとの仰せです。

ところで、一般的な成人の一日の呼吸回数は二万回~三万回だそうです。但しこれは呼気と吸気が1セットになっているので、別々に勘定すると一日に四万回~六万回になります。

また、一般成人の一日の心拍数は一分間に平均六十回~七十回だそうですので、一日に換算すると八万六千回~十万回となります。人間の体を自然に任せると一日のリズムにはそのような数字が刻まれる事となり、これは念仏の回数と似てはいないでしょうか(呼吸の場合、一呼気に一度、一吸気に一度の念仏を当てると四万回~六万回ですが、一呼気に二度の念仏を当てると六万回~九万回になります。一呼気に三度の念仏を当てると八万回~十二万回になります)。

親鸞聖人は「寝ても覚めても隔てなく南無阿弥陀仏を称うべし」と、西山上人も「眠りて一夜を明かすも報仏修徳の内に明かし、さめて一日を暮らすも弥陀内証の内に暮らす」と仰っておられます。法然上人は念仏は片時も絶やさず、睡眠時でも称えられていたそうですし、弁栄聖者や空外上人も寝息が念仏となって居られた様で、つまり寝ている時でも斯様に念仏すべき事をお示し下さっておられるのです。昼夜相続すればその回数は必然的に十万遍前後という事になりましょう。

腹式呼吸が心身に良いからと言われて意識的に始めたとしても、二~三時間は出来得ても一昼夜それを続けることは不可能です。呼吸はあくまで身体自身が自然にしているのであり、それを偶(たま)に意識的に自分が代わりにやってみるだけの事で、身体の自然な働きが前提に在るわけです。念仏を称える回数というのも、心臓の鼓動や呼吸の回数と同様に、24時間身体が自然に続けている回数と受け取るべきです。念仏するとは自分が頑張るのでなく、自然に任せる、自然に生かされているおかげに四六時中感謝を捧げるという事ではないでしょうか。

法然上人は憶念相続の大切さを仰っておられますが、やはり自分の力だけでは不可能です。身体に念仏して頂く、つまり阿弥陀様にお念仏をして頂き、それを常に聞き続ける以外相続はでき得ません、アミダ様以外に24時間お念仏ができる方はいないからです。我々に出来得るのは聞声のみだと思います。但し聞名に於いては実に楽に、実に簡単にお念仏相続ができるのです。24時間の聞名です。聞声に心を添えていのちのおかげを拝むばかりです。そうなればこそ実際に易行とも言え、誰でも実行可能な行となると思います。

「仏勅唯称」とは、阿弥陀様の直接のお声(御心)を聞かせて頂く為に意識的に日々多くの念仏を口に称えよと言うことでしょう。そして長時間のお念仏をする為にはどうしても木魚など一定のリズムが必要になります。24時間木魚の音の中で暮らすと自然とお念仏の中に生活ができるようになります。法然上人の「余事をいとなむとも、念仏を申し申しこれをする思いをなせ」との仰せは、阿弥陀様のお念仏の声を常に聴き拝みながら生活する事なのだと思います。

念仏はいのちの歌声です。ナムアミダブツの呼声の中にいのちの光に出会う事が出来るのです。その為にいのちのリズムを刻む楽器を使い  (本来なら心臓の鼓動や呼吸に合せ念仏を聞く方が自然ですが)、大ミオヤの光名のお育てを頂けることが大変有難く、ただただ生命のおかげに手を合わせ頭が下がってゆきます。これが「心の更生」「往生極楽の道」へとつながってゆきます。

法城寺では、いつも一定のリズム(124拍数/分)のメトロノーム木魚の音が聞こえるよう心がけています。その音に触れた人が自然に念仏の声を合わせ、一人一人が大ミオヤの御慈悲のおかげに包まれ導かれていたことに気付かされるための道場なのです。


(『阿弥陀経』「復次舎利弗、彼国常有 種種奇妙 難色之鳥。白鵠孔雀 鸚鵡舎利 迦陵頻伽 共命之鳥。是諸衆鳥、昼夜六時 出和雅音。其音演暢 五根五力 七菩提分 八聖道分 如是等法。其土衆生聞是音已、皆悉念仏念法念僧舎利弗、汝勿謂此鳥 実是罪報所生。所以者何。彼仏国土、無三悪趣。舎利弗、其仏国土、尚無三悪道之名。何況有実 是諸衆鳥 皆是阿弥陀仏、欲令法音宣流、変化所作。舎利弗、彼彿国土、微風吹動 請宝行樹 及宝羅網、出微妙音。譬如百千種楽 同時倶作。聞是音者 皆自然生 念仏念僧之心。舎利弗、其仏国土、成就如是 功徳荘厳」参照)