聖者の教行

如来光明主義の所求(目的)・所帰(本尊)・去行(行法)

人生の大事たる自己の宗教心を立てんには、先ず安心(あんじん)と起行(きぎょう)とを定むべし。目的定まらずしていずれにか行かん。歩を運ばずしていかでか目的の地に達せん。これ信仰の安心起行を定むべき所以である。

これに就いて三条あり。一に求むる所の目的、二に帰する所の本尊、三に修する所の行法。この三条が確定したるを安心起行の立ちたる信仰とはいう。

一、求める所とは、信仰の要求する所は、ミオヤの光を獲得(え)て光明の生活に入るを目的とす。光明を被るときは従来の盲目的生活より覚醒して、ミオヤの光明中の人となり、現在を通じて永遠の光明に入ることを得る。人の天性は、六根は汚染(けがれ)にて、感情は苦悩である。智は無明にて、意志は罪悪である。我らが生まれつき有(も)っている弱点は、自分の力にて除くことが出来ぬ。唯ミオヤの清浄と歓喜と智慧と不断との光明の摂化を被りて、光明中の人なることを得る。

光明中にも肉体ある間は精神的に光明中に生活し、命終わる時は現実的に光明土の人となり得る、すなわち浄土に生まれることである。

二、帰する所の本尊とは、弥陀尊は絶対的の中心本尊に在(ましま)して、現在未来を通じて唯一のミオヤに在(ましま)せば、無量無碍の光明を照らして念仏の衆生を摂取し給う。我らが肉体は太陽の光にて活かされある如く、我らが心霊はミオヤの光明に依りて活かされてある。如来は見える見えざるとに係わらず、真正面に在(ましま)すことを信じて、その照鑑の下(もと)に精神指導されつつあることを信ずべきである。かくの如くに帰命する本尊を確信すべきなり。

三、修する所の行法とは、如何なる方法を以てミオヤの聖意(みむね)に称(かな)い、光明の中に摂(おさ)められるかとなれば、只本願の名号を称え、即ち念仏三昧を以てす。ミオヤの慈悲心は我らが心に入り、我らが信念の心はミオヤの中に入り、見える見えざるとに係わらず、一心に念仏して、大ミオヤの慈悲に同化せられることを要す。常にミオヤの中に在り光明の生活を得て、肉体終われば報土に生ずることを得る。

要する所は、光明王を本尊とし、光明名号を称え、光明中に生活するを宗の趣旨とする。

霊鷲山善光寺『弁栄上人御法語(み教え)』より


『如来光明礼拝儀』

明治33年に病気療養された法城寺で萌芽した光明主義は、翌34年鎌倉千手院にて温められ、明治35年印行された『無量寿尊光明歎徳分及要解』で初めて十二光体系が方向付けられます。そして明治37年に初版印行された『仏教要理問答』(原青民師発行)第五課勤行式が、『如来光明礼拝儀』の第一原型となります。その後数次の試作を経て大正4年4月に『如来光明会礼拝式』が印行されました。これが『礼拝儀』の元になります。その後数度の手直しを経て現在の『如来光明礼拝儀』が使用されています。 

( 当サイト「弁栄聖者作品集 > 弁栄聖者所蔵関連作品」参照 ) 

善導大師の『往生礼讃』中夜礼讃の五悔「至心に懴悔す」「至心に勧請す」「至心に随喜す」「至心に回向す」「至心に発願す」を六偈に開き、朝夕のお勤めに三偈づつを配置し、また弁栄聖者の出世の本懐である、阿弥陀如来が衆生を導く実際の十二の働き、十二光が説かれる『無量寿経』如来光明嘆徳章を中心に、大ミオヤ十二光への讃嘆と御念仏とで構成されたのが『如来光明礼拝儀』です。

そして、偈文はすべて「如来よ」と三身即一の阿弥陀仏への呼びかけに終始し、仏と衆生との呼応関係に主眼の置かれた、念仏三昧への霊導となる勤行であることが最大の特徴と言えます。

— この礼拝儀は昭和47年2月20日発行の経本です。—