『仏教要理問答』初版(『原青民遺書』より)

明治31年より鎌倉千手院で療養されていた原青民師は、明治34年から度々千手院を静養に訪れた弁栄上人の指導の下に念仏精進し、悟入の一心境も開き、明治39年に遷化されるまで、弁栄上人を「聖者」と呼び尊崇しておられました。

その悟入の心境を青民師は「明治38年2月11日夜、床上に座して自己と宇宙との関係を観察するにあたり、因縁所生の法は即ち、吾人が客観の境として実在せるものと執せる山河大地は、忽然としてその影を没し、ただ心霊の照々光々としてうたた歓喜の心のみ存す。暁天、庭前に出でて山河を見れば、昨日に異なるものあるが如し。昨日と異なるは何ぞや、いわく、かつて心外に実在せりと思惟せるもの、あにはからんや、心中所現の境ならんとは。奇異の念ますます深し。然し観察をかさねること、ここに数か月、ますますその所信を確かにし、以来生死に対する恐怖の念跡を絶ち、ただ法身の妙用に托して如来の恩寵の実現せんことを切に祈りつつあるのみ」と語っておられますが(『日本の光』269頁)、以下聖者の解説です。

「向こうに見える山河大地の物象は、自己の観念が客観化して現じた相である。実は自己の心の相を向こうに見ておるのである。向こうの物それ自体は何であるか、物象と現れたのは自己の観念の相である。若し自己の心がなければ外界の相は如何なる象相(すがた)なるかを認識する事は出来ぬ。主観の心相と客観の色相とは実は本質一体である。外界に現れたる山河大地などの一切の客観現象なるものは、自己の阿頼耶識が向こうに現れたので自己の心の外ではない。畜生は畜生の、餓鬼は餓鬼の阿頼耶識を以てその身と世界とを感じ、人間は人間的に客観の事物を感見しているのである。しかし本来、宇宙は一大観念にて宇宙自体は絶対で主観とか客観とかの相対的のものではない。もし個人の自観を(南無阿弥陀仏と)開発し得る時此の一大観念に契合するのである」と。(『日本の光』121頁参照)

明治37年の初版本は法城寺にはありませんので、明治45年渡辺海旭上人の発起で編纂された全集『青民遺書』より引用いたしました。此の『仏教要理問答』が其の侭全文なのかどうかわかりませんが、一応初版本そのものと判断して引用致しました。

発行者は青民師ですが、弁栄聖者御指導の許の共著であります。

仏教要理問答(初版本)

明治37年4月8日 原青民師発行

仏教要理問答

  「日露の戦争正に酣(たけなわ)なる時に当り、

   世界の文明と東洋の平和の為に此書を献げ奉る」

   宗教を勧むる序

 熟(つらつ)ら社会の状態を見るに、道徳すたれて人情日々に浮薄(ふはく)に赴き、罪悪ほしきままに行われて信用地を蠕(は) うの勢いである。若しも之を自然の成り行きに任せ置くならば、社会の前途も思い遣らるるのである、抑(そもそも)道徳衰頽の源を尋ねれば、人々互いに因果の理を忘れ、宇宙の大済度者たる如来の聖旨に背きたる結果と云わなければならぬ、故に之を挽回するの道は主我の迷いより起こる罪悪を捨離(はな)れ、宇宙進化の帰趣する如来の真理に、信順することを教える『活ける宗教』の外に術(すべ)はないのである。

私共が、此の世を安く清に生活しますには二つの道に依らなければならぬ、一は此の身を養う財産と、一は心を慰める信仰とであります。世には財産さえあれば、信仰抔(など)は要らぬと言う方があるかも知れませぬ。然しながら、もしも私共が働く目的が食べることと、兒共(こども)を養う財産の為のみとしましたら、動物と何の違いがありますか、動物の違いの無き人の家には常に諍いと憂いとが絶えませんぬ。真の平和と歓喜とに満ちつつあるは必ず信仰ある家の人であります。


されば、凡(およ)そ心に憂いある人  罪に悩める人は勿論、いやしくも正義を慕う人、品行の修(おさむ)らんことを望む人、一家の睦(むつ)からんことを望むる人は、この霊福の元なる『活ける宗教』を味わい給う事こそ望ましけれ、私共感ずる所あり、些(いささ)か世のため、人のために尽くすあらんとす、此の書は宗教の道理を説き明かし、これに依って家庭を清め国家に尽くし人類の幸福を進めんがために著したるものですから、督と心を静かにしてお読み下さることを冀(こいねがい)ます。

 明治37年4月 仏陀降誕の日 (原青民)




※以下本文は初版・再版とほぼ同じですが、

第五課勤行式では、再版本には法華経如来寿量品が挿入されていますが初版本にはありません。又、如来光明歎徳頌の前の説明に多少異なりがあります。又、初版本では勤行の最後が和文「光明遍照・念仏一会・願以此功徳」で終わっていますが、再版本では念仏導入の摂益文と回向の総回向文は省略されています。

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