唯称院

 かつて京都北山の奥に、京都修道院という弁栄聖者の流れを汲んだ新団体がありました。院主の日向美則氏の著作『愛の観想』の中に、「極楽から帰って来た人」永井辰次郎尊者の事が紹介されています。 

 永井尊者は大正11年1月15日に極楽へ予告往生されるも、それより前大正3年に病死により1度極楽へ往生され、その時観音様から「汝の寿命はまだ7年あるから、娑婆へ一旦戻って多くの人々に、 阿弥陀仏の勅命である “唯称”  (ただ南無阿弥陀仏を称えよ 、必ず助ける)という大切な仰せを伝えて来なさい」とのお指図を受け、5時間程で臨死体験から蘇生し、それより後は唯ひたすらに「仏勅唯称」(※ 注)  のみを説かれました。また極楽で六神通のさとりが開かれた為、それまで文盲であったのにも関わらず、文字も書け、一切経もすらすら読め、(正に見てきた通りの) 説教も出来るようになるとの御活躍をされ、多くの人を導いて再度往生された実在の尊者です。 

この『愛の観想』や『弥陀の福音』を30年前東京在住時に読んで感銘を受けたのを覚えていますが、その永井辰次郎尊者が実は愛知県岡崎市生まれの方で、久しぶりに尊者の名前を耳にして再び尊者のことが思い出されました。再読、浄土宗の教えはこの「仏勅唯称」(唯南無阿弥陀仏と称えよ、必ず浄土に生まれさせる との阿弥陀仏の仰せ)に尽きるのではなかろううかと思い到り、元来法城寺は尼僧寺院で院号が無かったこともありまして、2010年頃から院号を唯称院と名乗り、法城寺を念仏道場にしようと発願いたしました。

(※注)「仏勅唯称」 阿弥陀様の永井尊者への直接のお言葉

「よく聴けよ、よく聴けよ、末世の衆生は邪義、邪見ばかりにて、汝(永井辰次郎尊者)も観見した如く、道俗共に地獄に堕ちる者多し。諸経諸善は及び難し。故に我が本願の一法  南無阿弥陀仏を執持して我が浄土に来たるべし。三途苦悩の者の為に抜苦与楽を誓いたり。我が語  南無阿弥陀仏を持(たも)て。汝(尊者)、縁有る衆生に “唯称” の誓いを告げよ」