お釈迦さま


B.C.463年4月8日~B.C.383年2月15日


法句経(ダンマパダ)

『真理のことば』より抜粋

第一章 一組ずつ

1.ものごとは心に基づき、心を主とし、心に依って造り出される。もし汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。車を引く牛の足跡に車輪がついて行く様に。

2.ものごとは心に基づき、心を主とし、心に依って造り出される。もし清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。影がその身体から離れない様に。

3.「彼は我をののしった。彼は我を害した。彼は我にうち勝った。彼は我から強奪した」という思いを抱く人には、怨みはついに息(や)むことがない。

4.「彼は我をののしった。彼は我を害した。彼は我にうち勝った。彼は我から強奪した」という思いを抱かない人には、ついに怨みが息む。

5.実に此の世に於いては、怨みに報いるに怨みを以てしたなら心はとらえがたく、軽々とざわめき、欲するがままに赴く。その心をおさめる事は良いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす。

6.「われらは、此処にあって死ぬはずもののである」と覚悟をしよう。此のことわりを他の人々は知っていない。しかし此のことわりを知る人々があれば、争いは静まる。

7.此の世のものを浄らかだと思いなして暮らし、感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めないものは、悪魔に打ちひしがれる。弱い樹木が風に倒される様に。

8.此の世のものを不浄であると思いなして暮らし、感官をよく抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤め励む者は、悪魔に打ちひしがれない。岩山が風に揺るがないように。

19.仮令ためになる事を数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。牛飼いが他人の牛を数えている様に。彼は修行者の部類には入らない。

20.仮令ためになる事を少ししか語らないにしても、理法に従って実践し、情欲と怒りと迷妄を捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執着することのない人は、修行者の部類に入る。

第二章 はげみ

21.勤め励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。勤め励む人々は死ぬことがない。怠りなまける人々は、死者の如くである。

22.此の事をはっきりと知って、勤め励みをよく知る人々は、勤め励みを喜び聖者たちの境地を楽しむ。

23.道に思いを凝らし、堪え忍ぶこと強く、常に健く奮励する、思慮ある人々は、安らぎに達する。これは無上の幸せである。

25.思慮ある人は奮い立ち、勤め励み、自制・克己によって、激流も押し流すことのできない島をつくれ。

26.智慧乏しき愚かな人々は放逸に耽る。しかし心ある人は、最上の財宝を守る様に、勤め励のをまもる。

27.放逸に耽るな。愛欲と歓楽に親しむな。怠ることなく思念を凝らすものは、大いなる楽しみを得る。

31.いそしむことを楽しみ放逸に恐れを懐く修行僧は、微細なものでも粗大なものでもすべて心の煩いを、焼き尽しながら歩む。燃える火のように。

32.いそしむことを楽しみ、放逸に恐れを懐く修行僧は、堕落するはずはなく、既にニルバーナの近くにいる。

第三章 こころ

33.心は動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直くする。弓師が矢の弦を直くするように。

34.水の中の住居(すみか)から引き出されて陸(おか)の上に投げ捨てられた魚のように、この心は悪魔の支配から逃れようとして藻掻き回る。

35.心はとらえがたく、軽々とざわめき、欲するがままに赴く。その心をおさめる事は良いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす。

36.心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままに赴く。英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす。

37.心は遠くに行き、独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟に潜んでいる。この心を制する人々は、死の束縛から逃れるであろう。

38.心が安住することなく、正しい真理を知らず、信念が汚されたならば、さとりの智慧は全からず。

39.心が煩悩に汚されることなく、思いが乱れることなく、善悪の計らいを捨てて、目覚めている人には、何も恐れることがない。

40.この身体は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城郭のように堅固に安立して、智慧の武器を持って悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。しかもそれに執着することなく。

41.ああ、この身は間もなく地上に横たわるであろう。意識を失い、無用の木片(きぎれ)のように、投げ捨てられて。

42.憎む人が憎む人に対し、怨む人が怨む人に対して、どのようなことをしようとも、邪なことを目指している心はそれよりも酷いことをする。

43.母も父もそのほか親族がしてくれるよりもさらに優れた事を、正しく向けられた心がしてくれる。

第四章 花にちなんで

45.学びに勤める人こそ、この大地を征服し、閻魔の世界と神々と共なるこの世界とを征服するであろう。わざに巧みな人が花を摘むように、学びに勤める人々こそ善く説かれた真理のことばを積み集めるであろう。

46.この身は泡沫(うたかた)の如くであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであると悟ったならば、悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへ行くであろう。

50.他人の過失を見るなかれ。他人のした事としなかった事を見るな。ただ自分のした事としなかった事だけを見よ。

52. うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りのあるものがあるように、善く説かれた言葉も、それを実行する人には実りがある。

53.うず高い華を集めて多くの華飾りを作るように、人として生まれ、また死ぬべきであるならば、多くの善い事を為せ。

54.花の香りは風に逆らっては進んで行かない。しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても進んで行く。徳のある人はすべての方向に薫る。

55.栴檀、タガラ、青蓮華、ヴァッシキー、これら香のあるものともの内でも、徳行の香りこそ最上である。

56.タガラ、栴檀の香りは微かであって、大した事はない。しかし徳行ある人々の香りは最上であって、天の神々にも届く。

57.徳行を完成し、勤め励んで生活し、正しい智慧によって解脱した人々には、悪魔も近づくに由なし。

58.大道に捨てられた塵芥(ちりあくた)の山ずみの中から香しく麗しい蓮華が生ずるように。

59.塵芥にも似た盲(めしい)た凡夫の間にあって、正しく目覚めた人(ブッダ)の弟子は智慧以て輝く。


第五章 愚かな人

60.眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者どもには、生死の道のりは長い。

61.旅に出て、もしも自分よりも勝れた者か、または自分に等しい者に出会わなかったら、むしろキッパリと独りで行け。愚かなものを道連れにしてはならぬ。

62.「私には子がある。私に財がある」と思って愚かな藻には悩む。しかし既に自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。

63.もしも愚者が自ら愚であると考えれば、即ち賢者である。愚者でありながら、しかも自ら賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。

65.聡明な人は瞬時(またたき)の間賢者に仕えても、ただちに真理を知る。舌が知るの味をただちに知るように。

69.愚かな者は、悪いことを行っても、その報いの現われない間は、それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いの現われた時には、苦悩を受ける。

73.愚かな者は、実にそぐわぬ虚しい尊敬を得ようと願うであろう。修行僧らの間では上位を得ようとし、僧房にあっては権勢を得ようとし、他人の家に行っては供養を得ようと願うであろう。

75.仏陀の弟子である修行僧は此のことわりを知って、栄誉を喜ぶな。孤独の境地に励め。


第六章 賢い人

76.己が罪過を指摘し過ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、その賢い人につき従え。隠してある財宝のありかを告げてくれる人につき従うように。そのような人につき従うならば、善い事があり、悪いことはない。














大パッリニバーナ経

『ブッダ最後の旅』

第一章

[  1.鷲の峰にて  ]

私はこのように聞いた。ある時尊師は王舎城の鷲の峰におられた。

その時マガダ国王アジャータサットゥ、即ちヴィデーハ国王の女(むすめ)の子、はヴァッジ族を征服しようと欲していた。国王はこのように告げた。「このヴァッジ族は、このように大いに繁栄し、このように大いに勢力があるけれども、わたしは、彼らを征服しよう。ヴァッジ族を根絶しよう。ヴァッジ族を滅ぼそう。ヴァッジ族を無理にでも破滅に陥れよう」と。

そこで国王はマガダの大臣であるヴァッサカーラというバラモンに告げて言った。「さあ尊師の居ます処へ行って、尊師の両足に頭をつけて礼せよ。そして我が言葉として、マガダ国王アジャータサットゥはヴァッジ族を征服しようと思うが如何かと尋ねよ。。そうして尊師が断定せられた言葉を私に告げよ。完全な人は虚言を語られないからである」と。「かしこまりました」とヴァッサカーラは返事をして、王舎城を出て鷲峰山に赴いた。国王の言葉を尊師に告げると、尊師は背後に控えていた若きアーナンダに次のように尋ねられた。「アーナンダよ、ヴァッジ人は、①しばしば会議を開き、会議には多くの人々が参集していると。また➁協同して集合し、為すべきことを為すと。また③いまだ定められていないことは定めず、既に定められたことを破らず、往昔の旧来法に従って行動しようとしていると。また④古老を敬い、尊び、崇め、持て成し、そうして彼らの言葉を聞くべきものと思っているということを。また⑤良家の婦女・童女を暴力で連れ出し拘え留めることをなさないということを。また⑥霊域を敬い、尊び、崇め、支持し、そうして以前に為されたる、法に適った供物を廃することが無いと。また⑦まことの人たちを保護し防禦し支持とを与えると。ヴァッジ人は斯くあると、汝は聞いたことがあるか」と。アーナンダはその一々に「そのように私は聞きました」と答えた。すると尊師はその一々に、「ヴァッジ人がかくあるならば、彼らには繁栄が期待され、衰亡はないであろう」とお答えになられた。そこで尊師はマガダ国の大臣ヴァッサカーラにこう言われた。「かつて或る時私が、ヴェ―サーリーのサーランダダ霊域に住んでいた時、ヴァッジ人に、衰亡を来さないための法を説いた。今アーナンダに尋ねた七つの法を守る様に説いたが、まだヴァッジ人がこの法を守っているのが見られる限り、ヴァッジ人には繁栄が期待せられ、衰亡はないであろう」と。そこでヴァッサカーラは尊師に次のように言った。「ゴータマよ。マガダ国王アジャータサットゥは、戦争でヴァッジ族をやっつけるわけにはいきません」と。そして喜んで座を立って去った。

[  2. 修行僧たちに教える ]