お慈悲のたより

石川喜太郎氏は、法城寺開基石川市郎氏の長男で当家第九代当主でありますが、病気の為明治四十四年に四十四歳の若さで亡くなられました。第八代の市郎氏が築き上げた法城寺でしたが、聖者入滅前に市郎氏、初代法蓮法尼、そして喜太郎氏と、本来盛り立てていくべき人達が先に亡くなり、やがて聖者の法灯は当寺から消えていきます。

喜太郎氏の容態を心配された聖者の手紙が何通か残っておりますが、この手紙もそのうちの一つで額にして残してありました。聖者の御心遣いとみ教えが残された貴重な「お慈悲のたより」であります。

石川喜太郎氏へお慈悲のたより


古人の歌に 後の世もこの世も共になむあみだ 仏まかせの身こそやすけれ 

南無と此我を投じて 阿弥陀仏に帰しぬれば もはや生死の境を越て無量寿の我に成りしなり  みだの真理を証りうる時は 既に生死の関門を超絶して永恒不滅の徳を得べく候

石川君よ 死ぬべき我を我と執着せずして 無量寿の死なぬ我を我と定め給えよ 実にいつも無量寿でありますよ どこでも無量光躰内ではありませぬか 十方法界みだ躰内の我なれば 去るに処なく 来るに方なし みだ躰内の我には往も還るもありませぬ 本来みだの中であるもの 

ただ精神だに なむあみだ仏となりさえすれば 即ち極楽でありますよ 如来光明内裡に居ながら 自ら知らずして居るもなさけなし 

なむとは小さな我がなくなりしこと  阿みだとは大きな我となりしこと ありがたし

死ぬことはありませぬよ ほんに

十六日夜 弁栄

石川喜太郎君(法城寺第九代当主) 


【意訳】

無能上人の御歌に 後の世もこの世も共に南無阿弥陀 仏まかせの身こそ安けれ とあります

大ミオヤよ有難う御座いますと 命の親様に只々感謝を捧げてゆくと もはや生死の境を越えて 量り無きいのちの我に帰ってゆきます いのちの親様の真実に気付き得る時 既に生死の関門を超絶して 永恒不滅の徳を得るのです

石川君よ 死ぬべき小さな我を 我と執着せずして 量り無き死なぬいのちのおかげ様を 仰いでゆきなさい 実に何時でも量り無き慈悲の命であり、どこでも量り無き光ではありませぬか、宇宙の全てそのままが あなたの今のそのままが 大ミオヤのお慈悲の光の中にある その光の中の我の外に 何処か別の場所に往くのでも還るのでもありません 

本来が光の中であるもの 精神さえ 大ミオヤへの感謝に満ち溢れれば 即ちそのまま極楽でありますよ、オヤ様のお慈悲の光りを存分に浴び乍ら 自ら知らずに居る事は最も親不孝な事です

南無  有難う御座います、と小さな我が無くなり

阿弥陀仏  いのちのオヤ様、おかげ様、と大きな我に帰ってゆく

有り難いことです

 死ぬことではありませんよ  本当に

   十六日夜   弁栄

 石川喜太郎君