弁栄聖者作品集
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出山の釈尊
光明の生活
出山の釈迦というと、苦行に敗れ憔悴しきった姿を想像される方も多いと思いますが、お歌やおすがたを見てもわかるように聖者は、覚の開花された釈尊と受取っておられます。スジャータの供養、観音示現を通しミオヤに生かされるのいのちの大悲に触れ、それを確かめ深める為に菩提樹の下で瞑想されます。釈尊三十五歳の時のことでした。梵天の勧めによって、その後八十歳入滅時まで教えを説き続けられました。
ある時霊鷲山で説法中に、従者の阿難尊者が、余りにお釈迦様が光り輝いておられるのに驚き、その理由を尋ねてみました。お釈迦様は「私は今阿弥陀如来に生かされているいのちのおかげを念じているから、ミオヤのいのちが光を放っているのです、大変よろしい、よく気付きました」とお褒めになられ、続けて阿弥陀如来の本願の生起本末を説かれたのでした。それが念仏往生を示された『無量寿経』です。その時の釈尊の輝きが三相五徳のお光であったのです。
〈三相五徳〉 阿弥陀仏とと合一された釈尊の霊相の三相(諸根は悦豫し、姿色は清浄に、光顔は巍々たり)と、霊徳の五相(今日の世尊は奇徳の法に住し、今日の世雄は諸仏の住する所に住し、今日の世眼は導師の行に住し、今日の世英は最勝の道に住し、今日の天尊は如来の徳を行じておられる)
聖者は、お釈迦様を単なる指導者としてではなく、お手本として、ミオヤを念ずることにより、釈尊に到底及ぶ事はあり得ませんが、一人一人が、一人一人なりに「心の更生」により小釈迦となる事を勧められるのでした。三相五徳は、誰であってもミオヤの光に霊化されれば顕われる光明の生活の相です。聖者の「三相五徳の讃」《意訳》にこう称(たた)えられています。
〈仏々想念(三相五徳)の讃〉
譬えば西に日は入るも 光は月に映る如と
無量寿王(おおみおや)の日光(みひかり)は 牟尼満月(せそんのすがた)に輝けり
即ち世尊は寂静に 弥陀(みおや)三昧に入りたまう
その時㊀諸根悦豫(しょこんえつよ)し ㊁姿色(すがた)は殊に清らかに
㊂光(たか)き顔(みかお)は巍々(ぎぎ)として 譬えば明浄(みょうじょう)なる鏡
影が表裏に暢(とお)る如(ご)と 威容(いよう)の光極みなし
➀如来(あなたの)清浄(しょうじょう)光名(こうみょう)が
世尊(せそん)の感覚(みむね)に映(うつ)ろいて
諸根は最(いと)も清らかに 奇特なること極みなし
➁如来(あなたの)歓喜(かんぎ)の光名(こうみょう)が
世雄(せそん)の聖情(みむね)に融合し(とけおうて)
諸仏の常に住みませる 大我(たいが)の中に安住す
③如来(あなたの)智慧(ちえ)の光名(こうみょう)が
世眼(せそん)の智慧と現われて
闇の世間を照しては 如実に衆生(われら)を導きぬ
④如来(あなたの)不断(ふだん)の光名(こうみょう)が
世英(せそん)の聖意(みむね)に実現し
至高の徳に在(まし)まして 最勝道に住しける
⑤如来(あなたの)万徳具備(そなわ)りて
天尊(せそん)の身に現じては 三輪(さんりん)完全(まどか)の鑑(かがみ)とし
衆生(われら)に軌(のり)を垂(た)れ給う
本仏(みおやの)弥陀(あなた)の霊徳(れいとく)が 牟尼(せそん)の身意に顕現し
人仏牟尼(しゃかむにせそん)は一向(ひたすら)に
本仏弥陀(みおやのあなた)を憶念す
願わくは我同胞(はらから)と 世尊の範(のり)に随順し
念仏三昧を宗(むね)として 光名(ひかり)の中に生活(くら)します
阿弥陀如来
三身(法身・報身・応身)即一の大ミオヤ
三身即一のミオヤは聖者の教えの第一の根幹であります。
法身とは、「梵語に毘盧舎那(大日如来)と曰い、翻訳すれば徧一切処の義で、宇宙全体を身となすの意味である。宇宙大心霊と云うのを、宗教的に表せば法身仏とす。故に宇宙は永遠に活ける法身仏とす。形式としては、天の日月星辰の運行より、乃至地上の一切生物の生成にいたるまでの、万法の大原則の故に法身と名づけ、内容としては、この毘盧遮那の胎内に無尽の性徳を具有して、万物を生み出す故に如来蔵性と名づく」(善光寺『弁栄上人御法語』参照)として、この山川草木、天地万物、宇宙の生成にいたるまですべてが法身大ミオヤの御業で、しかもそのすべてにミオヤは内在しておられます。
報身とは、「法身より生み出されたる衆生も悉く小法身、小造物であり、仏になり得る性を有っておる。その仏性を摂取し霊化して仏となさしめ給うのが即ち報身仏である。梵語に盧舎那と曰い、訳せば光明徧照という。即ち如来は心霊界の太陽で、智慧・慈悲・威神の光明を以て衆生の心霊を霊育し給う。天に太陽なかりせば一切の生物が生存できぬ如く、如来の光明を離れて一切衆生は成仏すること能わざる」救いのミオヤであります。
然るに我らはそのミオヤを「如何にせん、私どもの凡夫の目にはわかりませんので、報身如来から衆生の為に聖き魂を分けて御出ましになりました」応身である教主釈迦牟尼如来に、「弥陀(ミオヤ)は名を以て衆生を度す」という、その尊き聖名「南無阿弥陀仏」を通して「宇宙の命であり世の光明」なる大ミオヤの威光(十二の光の働き)に、霊育・摂取されるよう御導き頂いているのです。
アミダ如来(大ミオヤ)は衆生の為に法報応の三つの身を分ち示現されますが、実はこの三身は本一体で独一の大ミオヤであります。
そのミオヤの十二の光のお働きが聖者の教えの第二の根幹であります。
阿弥陀如来
十二光
衆生を霊育摂取する阿弥陀如来(無量寿仏/大ミオヤ)の十二光とは、生かされる生命のおかげを拝む全ての衆生を、仏へと導く為、生成・霊育・救済・成仏と育てゆく過程の、光の実際の御働きです。
『無量寿経』に説かれる「無量寿仏の威神光明最尊第一にして諸仏の光明及ぶこと能わざる所なり 是故に無量寿仏を無量光仏・無辺光仏・無礙光仏・無対光仏・焔王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏と号し奉る」という無量寿仏(大ミオヤ)の放つ光明の十二通りのお働きの名称です。
無量光仏・無辺光仏・無礙光仏は此の大宇宙を生成する(法身)と共に、一切を無上の光の世界に帰趣せしめる(報身)の一切智 (大智慧)と一切能 (大慈悲)の、それぞれの体(本体)・相(すがた)・用(はたらき)の三通りの働きの光の呼称です。
無対光仏・焔王光仏は、衆生を無量寿仏の聖国へと導く一大霊力と、その為に煩悩を霊化する働きの光の呼称です。
清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏は、衆生の汚れた感覚・悪い感情・無智・弱い意思を、それぞれ清らかにし、歓びに満たし、思慮深く、強く菩提(往生)を求める意志へと霊化せしめる働きの光の呼名です。
難思光仏・無称光仏・超日月光仏は、衆生の信心を喚起し、霊性を開発し、聖意にかなう身となさしめる働きの光の呼名です。
これらは報身(法身も含む三身即一の大ミオヤ)の光の働きを、その十二の徳の名称で表現しています。
法身の光で生成・統括し、南無阿弥陀仏の名号を通した報身の光が実際に働いて衆生を霊化し、御自身の御許へ生れさせて下さるのです。
そこには衆生の力は微塵もないのです。すべて大ミオヤの独り働きであります。おかげに手を合わせ身を委ね(=名を称え)て聖国に生れさせて頂くのです。
弁栄聖者は、この十二光の御はたらきによる「心の更生」を我らに勧める為に、この世にお生まれになられました、そしてこの「こころの更生」が聖者の教えの第三の根幹であります。
阿弥陀三尊来迎
こころの更生
南無阿弥陀仏を通して、大ミオヤのおかげを常に憶念すると(値遇仏)、手を合わせる心に報身ミオヤの十二の光の働きを感じだします、そして観音菩薩の様に南無阿弥陀仏(大ミオヤ)が常念離れざれば(不離仏)、ミオヤの慈悲が我ら一人一人の個性を通じて、青色には青い光が、黄色には黄色の光が、赤色には赤い光が、白色には白い光がと、その人ならではの光が輝きだし、内在のミオヤ(霊応身)が各々の三相五徳として顕現してゆきます。
それは『阿弥陀経』に説かれる浄土の光景であり、勿論それは報身阿弥陀如来の報土極楽世界の事で此の世の事ではないのですが、聖者に開かれた仏眼からご覧になられると、この法界もまた大ミオヤのいのちの世界で、衆生(わたし)には娑婆世界にしか映らずとも大ミオヤの霊的浄界なのです。地獄・餓鬼・畜生という存在は影すら無く、一切の荘厳はミオヤの今現在説法です。そよ風も、池のさざ波も、木々の奏でる甚深微妙の声も、皆ミオヤが、全てを一人残らず自分と同じ仏にするという大智大慈の説法であり、南無阿弥陀仏という説法なのです。
聖者に御縁の深い一遍上人も「善悪の境界、皆浄土なり。外に求むべからず、よろづ生きとし生けるもの、山川草木、ふく風、たつ浪の音までも念仏ならずということなし」と仏眼の開かれた御境涯を『一遍上人語録』の中称(たた)えておられます。山川草木、吹く風、立つ波の声が南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えているのです、阿弥陀如来が衆生の現前に光の姿を顕わされているのです。
残念ながら煩悩深き衆生(わたし)にその姿は見えませんので、寿命の尽きる、肉我(煩悩我のこころ)のうすれ出したその時に、はじめてミオヤが目の前に顕れて下さることを「臨終来迎」と言うのだと思います。
しかし本来は眼前にいらっしゃるのです、しかもそれに気付けぬ我らに、南無阿弥陀仏と姿形を御示し下さって導かれておられます。拝む心に光の姿をお示しくださいます。
それ故聖者は、南無阿弥陀仏と「自己を如来の光明に投帰投入し、肉我に死し霊に復活す」べしと仰せられ、肉体の臨終の前に、肉我(こころ)の臨終を通した霊性の開花、精神の更生を勧めておられます。
善導大師
発願文 (更正の誓願)
そこで、善導大師の発願文「願弟子等 臨命終時 心不顛倒 心不錯乱 心不失念 身心無諸苦痛 身心快楽 如入禅定 聖衆現前 乗仏本願 上品往生 阿弥陀仏国 到彼国已 得六神通 入十方界 救摂苦衆生 虚空法界尽 我願亦如是 発願已 至心帰命阿弥陀仏」(往生礼讃)を聖者の意を汲み、死後ならぬ只今の「更生の誓願」として新解釈を試みました。
「大ミオヤよ、あなたの願いが我ら衆生をして今此処に、肉我の命(まよいの心)を終わらせるに臨み今当に南無阿弥陀仏が聖聚現前し給えり。既に心顛倒せず 錯乱せず失念せず、身心に諸々の苦痛なく快楽にして禅定に入るが如し。即ち仏(あなた)の本願に乗じて速やかに阿弥陀仏国(あなたのきよきみくに)に南無阿弥陀仏と上品往生せしめ給う。直ちに霊化され已(おわ)り、六神通を得る故、願くは急ぎ十方界に還り苦の衆生を救済す。虚空法界尽きるまで如来(あなた)の願いの尽きざるが如く、我が願いも亦尽きる事なし。 至心に阿弥陀仏(あなた)に帰命(すべてささげ)奉る」
肉体の臨終を待つのでなく、南無阿弥陀仏によるミオヤのお迎えに「肉我(まよいの自我)が臨終し、霊性に復活せしめられる」ミオヤの来迎に依る今現の正念往生(精神の更生)です。
極楽から帰ってきた人、「仏勅唯称」の永井辰次郎尊者が正にその人でありました。臨死体験ではありますが、心識が一度極楽へ往生し、六神通を得て、再び生き還り衆生を導かれた、正に還来穢国度の三昧発得の尊者であります。その述懐に「私はお浄土と申しても、また地獄というも、遠方とは思われぬ。坐っている所にすぐあると思われます。まずまず夢の様なものじゃ。只境界が変るだけやと思う」と仰られました。
法然上人
ただ一向に念仏すべし
「自己の判断を、しばらく閣(さしお)き、しばらく抛(なげう)ち、なお傍らにして」ただ仏の勅命にしたがう
永井辰次郎尊者の言われる「仏勅唯称」が法然上人の「ただ一向に念仏す」ることであります。罪悪の凡夫は自分では地獄に堕ちるのか極楽へ生れるのか判断できません、「ただ称えよ、必ず我が許に生まれさせる」とのミオヤの慈悲の「勅命(おおせ)」にゆだねるだけです。
法然上人の御遺言の書『一枚起請文』の「往生極楽の為には、①一文不知の愚鈍の身になして➁無智の輩に同じうして③智者の振る舞いをせずして、ただ一向に念仏す」る三重の「不の主体性」は、開けば『選択本願念仏集』と言われるその要文の略選択「それ速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に➀且(しばら)く聖道門を閣(さしお)いて選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば正雑二行の中に➁且(しばら)く諸々の雑行を抛(なげう)ちて選んで正行に帰すべし。正行を修せんと欲せば正助二業の中に③尚(なお)助業を傍らにし選んで正定を専らにすべし。正定の業とは即ち仏名を称するなり。名を称すれば必ず生ずることを得。仏の本願に依るが故なり」の中の三重の判断停止「且閣抛傍」と重なります。いわゆる「念仏為先」ということです。
法然上人の仰る「愚痴に還って念仏する」とは、「大ミオヤの御心の前に自我の計らいが一切役に立たない」「すべて私の手がらでない」「小我の無力」という「不の主体性」に立ち還り、この「しばらく」閣く、「しばらく」抛つ、「なお」傍らにすという、「しばらく(なお)」自分の判断を停止してミオヤに全て委ねる、それが「彼の本願に順ずる」「唯称」なのであります。
「仏勅」とは「ただ一向に念仏す」べき所以(ゆえん)であり、それが大前提にあるのです。その意味での「光明名号を称える」ことは、法然上人・弁栄聖者の行法の根幹であります。
私訳「法然上人 一枚起請文」を参照に記させて頂きます。
唯ミオヤ(あなた)の聖国(みくに)に生れる為には
南無阿弥陀仏と申して「疑いなく生まる」と
〈あなたに〉思いを取られて申す外には別の仔細そうろわず。
但し三心四修と申すことの候も
皆〈あなたが〉決定した南無阿弥陀仏にて聖国(みくに)に生まると
〈あなたに〉に思い奪われる内に籠り候なり。
此の外に奥深きことを存ぜば二尊のあわれみにはずれ本願にもれ候べし。
念仏《あなたが私を片時も離れず念々に念じて下さり、今ついに待ちきれず此処に、南無阿弥陀仏と迎えに来て下さったこと》を信ずる人は
一文不知の愚鈍の身になして
無知の輩に同じくして
知者の振る舞いをせずして、唯一向に念仏し、
あなたに心奪われて唯ひたすらに〈あなたの〉喚び声を聞くべし。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
楊柳観音菩薩
観音菩薩は、頭頂の宝冠に阿弥陀如来(大ミオヤ)像を頂戴している相で描かれる場合が多いですが、それは観音様が常に阿弥陀さまのおかげ(南無阿弥陀仏)を念じていることを表現しています。
観音菩薩が慈悲の菩薩と言われるのは、大ミオヤ(南無阿弥陀仏)の深い大悲を念じている為で、その大悲(母性)を表わすのに女性的な姿で描かれますが、本来は男女の性別ではなく、只々いのちの深い深い母性(大悲)があるだけで、それはまた宇宙に遍満する慈悲の働きを霊格として表現しているのです。
また、ミオヤを常に念ずる衆生は全て、一人一人が小さな観音さまとして頭頂に南無阿弥陀仏(大ミオヤ)を安置し、聖旨を実現していく身となるのです。
善導大師も『往生礼讃』に、観音様の霊性を
「心を至し阿弥陀如来に全て捧げる観音菩薩の大慈悲は、
已(すで)に己(おのれ)は悟りを得ても、敢て仏の位を捨てて、
一切(すべて)の迷える衆生(ものたち)を、たった一人の我が子のように、
自身の中に包みこみ、決して離れず寄り添って、
時に姿を現わさば、苦しむ我が子を抱きしめ給う、
あらゆる手段(てだて)を尽くしては、ミオヤの御許(みもと)へ導く大悲、
ああ願わくは、すべて生きとし生くものと、
命の根源(いのちのみもと)へ帰りなん」
(南無至心帰命礼西方阿弥陀仏 観音菩薩大慈悲
已得菩提捨不証 一切五道内身中 六時観察三輪応 応現身光紫金色 相好威儀転無極 恒舒百億光王手 普摂有縁帰本国 願共諸衆生 往生安楽国 )
と無償の母性として讃め称(たた)えておられます。
瀧見観音菩薩
弁栄聖者(1859―1920)と同世代で、近代浄土真宗の父、清沢満之師(1863―1903)も、時を同じくして碧南の地に御縁がありました。直接会われた記録はありませんが、満之師の日記『臘扇記(ろうせんき)』の明治三十一年に、法城寺開基 石川市郎氏が西方寺を訪ねている記録があります(最初の聖者招聘の発願は明治二十七年以前のことです)ので、聖者とも互いにその存在を認識しておられたであろう事は十分考えられます。その満之師が終焉の地、碧南大浜の西方寺で記された『他力の救済』に
「我、他力の救済を念ずる時は、我世に処するの道開け、
我、他力の救済を忘るる時は、我が世に処するの道閉づ。
我、他力の救済を念ずる時は、我物欲の為に迷わさるる事少く、
我、他力の救済を忘るる時は、我、物欲の為に迷わさるる事多し、
我、他力の救済を念ずる時は、我が処するところに光明し、
我、他力の救済を忘るる時は、我が処するところに黒闇覆う。
ああ、他力救済の念は、よく我をして迷倒苦悶の娑婆を脱して、悟脱安楽の浄土に入らしむが如し。我は実に此の念によりて、現に救済されつつあるを感ず。もし世に他力救済の教なかりせば、我は終に迷乱と悶絶とを免れざるべし。しかるに今や濁浪とうとうの暗黒世裡に在りて、つとに清風掃々の光明界中に遊ぶを得るもの、その大恩高徳あに区々たる感謝嘆美の及ぶ所ならんや」
とあります。
満之師の他力の救済と言われるのは、大ミオヤの大悲のことであり、その他力の救済を念じて処する道が開けるのは、一人一人が頭頂に大ミオヤのおかげ(南無阿弥陀仏)を念じて観音菩薩の慈悲の道を歩む事であります、両者には宗派を越えて通い合うところがあります。
観音菩薩と三心
釈尊は『無量寿経』に、法蔵菩薩 (阿弥陀仏の因位の時) の誓いの言葉として斯く説かれます。「もし我 (法蔵菩薩) 仏を得たらんに 十方の衆生 至心に信楽(しんぎょう)し我が国に生れんと欲して 乃至十念せんに もし生れずば正覚を取らじ」と。浄土教では、善導大師がこの「至心 信楽 欲生我国」を『観無量寿経』の「至誠心 深心 回向発願心」と対応させて衆生の三心 (安心) と定め、また「乃至十念」をやはり『観無量寿経』の「令声不絶 具足十念 称南無阿弥陀仏 」と合せて衆生の起行 (南無阿弥陀仏を称える) とし、往生の正定業と解釈されました。法然上人は此の善導大師の解釈をそのまま受けながらも、南無阿弥陀仏を称える中に三心は自然にこもると明かされました。弁栄聖者は「至心信楽欲生」の心を、至心を前提として「信ずる」「愛する」「欲する」の仏への恋慕を中心とした三心に新解釈されたのでした。
これを弁栄庵では、実はミオヤの大御心として受け取ります。大ミオヤ曰く「私は仏と成ってすべての生きとし生きるものを 真に深く 信じ愛し 我が国に生れさせてやりたい、乃(すなわ)ち十念(南無阿弥陀仏)を衆生に至らしめる、それで生れなければ私は仏にならない」と。南無阿弥陀仏を通してその大御心に触れ得た時初めて、自然に、聖者の仰るように➀「至心に深く信ず 自身は罪悪の凡夫なれどもミオヤは慈悲の父に在ます故に 大願力を以て必ず摂受したまうことを」➁「至心に愛す ミオヤ無上の慈悲を以て衆生を愛したまうが故に 我もまたすべてに超えてミオヤを愛楽したてまつる」③「至心に欲望す 真善美の霊国に生れてあなたの世嗣とならんことを。また一切の衆生と共に安寧をえんことを」の心が生じるのです。
御名号と来迎図
阿弥陀仏が因位の時に一切の衆生を救わん為に四十八の誓いをおこされます。南無阿弥陀仏で衆生を救うというのがその中心の第十八の念仏往生(至心信楽)の願で、その後永い修行を経てその願を成就し仏になられました。四十八の誓いに続いて五言の詩偈を以て再度その願いを表現されます。それが重誓(重ねて誓う)と云われる四誓偈です。「誓不成正覚」を繰り返されますが、その誓いは漢訳経典では三か所しかありませんので三誓偈という見方もされます。しかし元の梵語(インド語)経典をみれば「為諸天人師」が実は四つ目の「誓不成正覚」であることが解ります。依って此の偈は四つの誓いで、四十八の願を改めて誓われたものです。但し四誓偈の中の一番目の誓いと四番目の誓いが同じ成仏の誓いになっていますが、一番目の誓いは衆生の成仏をちかわれたもので、その為に四番目の誓いで自分の成仏を誓っておられます。衆生の救い(度)の為に自己の断知証を誓われた総願の四弘誓願と同様の事です。凡ての存在をさとり(光)に至らしめる為に自らも光となり、更に南無阿弥陀仏の名号になるとの誓いです。(『法城寺版如来光明礼拝儀』四誓偈参照)
南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)とはインド語の真言ですから、当て字の漢字には意味はありません。「 ナム ( ナマス ) 」( 頭を下げる ) と「 アミダ 」( 無量のいのちと光 ) と「 ブツ 」( 覚者 ) の三語よりなる言葉ですが、言語学的に見て「 ナムアミダブツ 」にはどうしても理解できない不可思議な点が二か所あると、哲学者の山本空外上人が仰っておられました。印度語では「ナマス」の語尾「マス」、「アミダ」の語頭「ア」が繋がると「モ」となり「ア」は消滅するのです。本来なら「ナマス」+「アミダ」=「ナモミダ」になるのですが、「ナムアミダブツ」では「ア」が残ってしまっている点です。二つ目は「アミダブツ」に私が帰命するのならば、阿弥陀仏は帰命される対象になりますので「アミダブッターヤ」という於格の語尾に変換される筈なのです。つまり「南無阿弥陀仏」という語が「私が阿弥陀仏に頭が下がります」という言葉ならば、原語的には「ナモミタブッターヤ」と発音されなくてはならないのです。それが「ナムアミダブツ」のままで「私が阿弥陀仏に帰命致します」という意味で使われていること、この二点が未だ解決されていない学問上の問題点であると言っておられました。
山本空外上人はそのことに結論を出しておられませんが、敢えて結論づけてみるならば、南無阿弥陀仏の主語は私ではないということです。「ナムアミダブツ」は「アミダブツ」が主語で「ナム」しておられる、「阿弥陀仏が頭を下げている」という意味になるのです。誰に? その語を称える私にであります。阿弥陀様が「汝を助けさせてくれ」と頭を下げて迎えに来て下さっている御姿が「ナムアミダブツ」になるのです。そのお姿にもったいなくて、こちらも南無阿弥陀仏と頭が自然に下がります。
また空外上人は仰せられました。「これは正式な教義ではなく、あくまで念仏する私にはそのようにしか思えないのですが」と断わられて仰られるのですが、「私の様なものの口からこんな尊い言葉が出るはずがない、南無阿弥陀仏は私が唱えているのではなく、阿弥陀様が称えておられるようにしか思えないのです」と。勿論、称える口も言葉も思いも私の手柄ではありませんので、すべて阿弥陀様のおかげであると言えるわけですが、それ以上に「南無阿弥陀仏」は阿弥陀様が唱えている、阿弥陀様が頭を下げて迎えに来て下さった御姿そのものであるという、その解釈に度肝を抜かれた事でありました。ただただ南無阿弥陀仏と手を合わせるばかりです。
聖者の直弟子 鈴木憲栄上人は、聖者が御名号を、生きた仏様として敬っておられる御姿を、著書『ミオヤとのめぐり会い』の中で、「(聖者が)名号の前に行かれて三拝なされた。私はその礼拝せられる御態度を見ると、聖者の前に生きた如来さまが在し、それに親しくお礼拝なされているように見受けられ、まことに有難い感にうたれたのである」と書かれていらっしゃいます。
弁栄聖者にとっては、南無阿弥陀仏の御名号は、阿弥陀様御自身がそこに現れておられる姿として映っていたのでしょう。来迎は必ずしも肉体の命が終わる時だけではなく、聖者のように仏眼が開かれた方にとっては、名号そのものがミオヤのお迎えであり、一声一声のお念仏が即ちミオヤの顕現なのであります。聖者のお歌『聖意の現われ』に歌われる、「聖なる聖名(みな)を称(たた)えては 聖意(みむね)の現われ仰ぐなり...至真にしていと聖き 霊国(みくに)をここに格(きた)れかし」とは、名号そのものがミオヤだけでなく菩薩をも含めた浄土の顕現に外なりません。
聖者は、大正七年に一遍上人の開かれた時宗の当麻派本山である、無量光寺第六十一世法主になられましたが、聖者に御縁深き一遍上人のお言葉にも、「称名の位が即ちまことの来迎なり。称名即来迎と知りぬれば、決定来迎あるべき」(『一遍上人語録』)なりと、「称名が来迎である」ことを説いておられます。善導大師や六波羅蜜寺の空也上人の御口から六(三)体の阿弥陀仏像が表れているのも、その象徴でありますし、法然上人の御法語の中にも、「阿弥陀仏は一念に一度の往生をあておき給える願なれば、念ごとに往生の業となるなり」とあるのも、又「ただ口に南無阿弥陀仏と称えて、声につきて決定往生の思いをなすべし」(『法然上人行状絵図』第二十一巻)の仰せも、一声(一念)の南無阿弥陀仏の中に、阿弥陀仏の来迎(往生)が籠られてあり、只今の一声の称名は、それが間違いないミオヤのお迎えの姿であるとの意です。弁栄聖者が、この世からの如来光明三昧を強調された所以であります。
両手同時運筆
右 空海が心の内にさく華は 弥陀より外に知る人ぞなし 弘法大師御詠
左 あみだ仏というより外は 津の国のなにわのこともあしかりぬべし 法然上人御詠
「ここで、聖者は額面の用紙に向かって両手に筆をお持ちになり、同時に両筆で異なる歌をお書き
になるのを拝見した。お書きになるのは非常に早い速度であって、而も両方の歌が全然別の歌であ
るのに驚いたのである」
弁栄聖者直弟子 鈴木憲栄上人著 『ミオヤとのめぐりあい』より