法城寺念珠
現代版 携帯 数珠
カウンター
- 日々のお念仏の数と数珠の関係 法然上人のお言葉
「念佛を申す事、樣々の義候えども只六字を称うるばかりに一切はおさまりて候也。意には本願をたのみ、口には名号をとなえ、手には数珠をとり、つねに心にかくるがきわめたる決定の業にて候也。
問。日所作は必ず数をきわめ候わずとも、数えられんにしたがいて数え、念佛も申し候べきか。
答。数を定め候わねば懈怠になり候えば、数を定めたるがよき事にて候。
問。念佛をば日所作にいくらばかりあててか申候べき。
答。念佛の数は、一万遍をはじめにて二万・三万・五万・六万 乃至 十万まで申し候也。この中に御心にまかせておぼしめし候わん程を申させおはしますべし。
問。念佛せんには必ず念珠を持たずとも、苦しかるまじく候か。
答。必ず念珠を持つべき也。世間の歌をうたい、舞をまうすら、その拍子にしたがう也。念珠をはかせにて舌と手とを動かす也。
問。毎日の所作に、六万・十万の数遍を数珠を繰りて申し候わんと、二万・三万を数珠を確かに一つづつ申し候わんと、いづれがよく候べき。
答。凡夫のならい、二万・三万あづとも如法には適いがたからん。ただ数遍の多からんにはすぐへからす。名号を相続せんため也。必ずしも数を要とするにはあらず。ただつねに念佛せんがためなり。数を定めぬは懈怠の因縁なれば、数遍をすすむるにて候」
『和語登録』より法然上人のお言葉
「先ず千万の人には、故法然上人の御房はただよく心に入れて念仏申せ、男女は一万二万遍、その外は三万五万申さんずるは沙汰にも及ばず。尼や法師は何ぞ甲斐なく様を替え、尼や法師に成りたるしるしに、少なからんは定んで三万遍、その外は五万六万遍、此れ程など申さんずるは、また云うにも及ばず。世に殊勝なることなり。かように念仏の数多く勧めおわしましき。我が御身にも日々の所作は七万遍怠ることなく、申し給いしことにて候なり」
『念仏名義集巻中』より鎮西上人述懐のお言葉
浄土宗元祖法然上人のお言葉によれば、阿弥陀様の本願を信じる人はすべからく、在家の人なら一万遍以上、僧侶なら三万遍以上のお念仏、上は十万遍まで必ず数珠を持って称える事をお勧めになっておられます。
数珠は、一回の念仏毎に数珠を一度繰るのが理想ではあっても、必ずしも正確に数を勘定するのではなく、繰り念仏(手だけを動かして数珠を繰る)の数え方でも良いとのお示しです。つまり厳密に言えば回数は関係なく、常に手か口を動かして、心を阿弥陀様から離さない事が御本意のようであります。数珠を手に持って数を定めることは、常念の為の手段に過ぎません。
但し、法然上人の吉水の流れを汲む者である以上、仰せ通りに数珠(カウンター)を片手に最低でも一万遍から三万遍以上 ( 繰り念仏で構わない )お称えすることが必修であると思われます。
二連の数珠では、両手が使えなくなるので、百円ショップで売っている此のカウンター数珠がお勧めです。