法城寺 携帯 本尊
現代版 携帯 本尊
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佐々木有一師『山崎弁栄 弥陀合一の念仏』より引用意訳
「念仏三昧のこころえ
阿弥陀仏のお絵像を正面に掲げ、それを見つめながらナムアミダブツ、ナムアミダブツと訛(なま)ることなく、ハッキリと阿弥陀仏の御名を呼び続けます。如来光明三昧の念仏道場では、こうして阿弥陀仏の「端正無比(たんじょうむび)の相好(みすがた)を 御名を通して念(おも)おえよ」というのがイロハのイとされています。正面の阿弥陀仏のお絵像は三昧仏(さんまいぶつ)と言いまして、弁栄聖者の真筆か、複製を用いるのが常です。このお絵像がやがて、記憶として心に想われるようになってきますと、その記憶としての心に想う如来さまの所に、活(い)きた本当の如来(おや)さまが一つのものとして、そこに在(まし)まして下さるのが事実だと解ってきます。その真実を信じて、それがそのまま活きて在(まし)ます如来(おや)さまだと感応道交(かんのうどうこう)が起こるようになるまで、一心にお慕いして御名を呼び続けます」
(『観無量寿経』第八観「如来是法界身 入一切衆生心想中 是故如等心想仏時 是心即是三十二相八十随形好 是心作仏 是心是仏 諸仏正徧知海従心想生 是故応当一心繋念諦観彼仏」 参照)
平成26年、弁栄聖者95回忌の年に弁栄聖者遺墨調査で碧南市閑楽寺様に伺った折、聖者の三昧仏複製軸を譲り受けましたが、この軸を法城寺本尊として正面に安置するのには最初は抵抗がありました。今までの法城寺本尊様に対して不敬であると思い、いつもは脇檀に安置しておりました。ところが弁栄聖者百回忌の年(令和元年1月)に出版された 此の佐々木有一先生の『山崎弁栄 弥陀合一の念仏』の「念仏のこころえ」に出会い、なるほど弁栄聖者のお寺である以上、正面に聖者の三昧仏を安置すべきである旨を知り、また百回忌報恩別時会では暗幕で仕切った本堂の正面に聖者の三昧仏軸を掲げて勤めたこともあり、令和2年より正面に、聖者三昧仏軸を御前立本尊として安置させて頂く様になりました。これが、聖者の御聖意(みこころ)を知らされた弁栄庵法城寺の始まりであります。
ところで、「如来様はいつもわれらの真正面に在(ましま)す。それを知らせに来たのが弁栄である」と聖者のお言葉にもあるように、大ミオヤはいつも我が真正面に在し、更には我が心殿に顕れて下されるので、それは本堂で御念仏をしている時でなくても同じであります。いつでも、どこに居ても、どんな時でも、私はミオヤと共に居ります。ミオヤは私の真正面に居ながら私の中にも居てすべてを与えてお育てくださっているのです、そのことに気付くことすら出来なかった私に、それでも生かして浄土へ迎え入れようとされている、その事実を知らせて頂いた勿体無さにはナムアミダブツと拝ませて頂くことしかできません。せめて如来様(大ミオヤ)の写真を持ち歩いて、時々取り出してはナムアミダアブツと眺めて喜こばせて頂いております。聖者は実際に目の当たりにいつも如来様にお目にかかっておられるのでその必要はないのですが、我々凡夫はいかされる生命のおかげに手を合わせて拝むのに、常にお姿を懐に持ち歩いては、時々出してはお慕い申し上げるのであります。