源信僧都

天慶5(942)年 ~寛仁元(1017 )年6月10日寂

『往生要集』

石上善應先生『往生要集』参照 

それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足である。道俗貴賤のだれか帰依せざる者があろうか。ただし顕密の教法は、その文は一つにあらず。事理の業因はその行これ多い。利智精進の人でさえ未だ難しとして為すことができない、予が如き頑魯(がんろ ※かたくなに愚かな)の者、どうして敢えてすることができよう。この故に、念仏の一門に依りて、いささか経論の要文を集めた。これを披(ひら)いてこれを修めるに、覚り易く行い易い。 

惣(す)べてで十門ある。分けて三巻と為す。一には厭離穢土、二には欣求浄土、三には極楽の証拠、四には正修念仏、五には助念の方法、六には別時念仏、七には念仏の利益、八には念仏の証拠、九には往生の諸業、十には問答料簡である。これを座右に於いて、廃忘に備えようと思う。

第一 厭離穢土

第一に、厭離穢土とは、それ三界は安き事なく最も厭離すべきである。今その相を明かせば、惣べてで七種ある。一には地獄、二には餓鬼、三には畜生、四には阿修羅、五には人、六には天、七には惣結である。

第一に、地獄もまた分けて八と為す。一には等活(とうかつ)、二には黒縄(こくじょう)、三には衆合(しゅごう)、四には叫喚(きょうかん)、五には大叫喚、六には焦熱(しょうねつ)、七には大焦熱、八には無間(むけん)である。 

➀等活:殺生の罪を犯した者が堕ちる、果てしなく傷つけあう世界

➁黒縄:殺生・盗みを犯した者の堕ちる、熱鉄の上で黒縄の印にしたがって切られる世界

③衆合:邪婬の者が堕ちる、赤熱のくちばしの鳥や剣の葉で出来た林で苦を受ける世界

④叫喚:殺生・盗み・邪婬・飲酒の罪を犯した者が堕ちる、釜茹でにされる等の世界

⑤大叫喚:上の四つ (殺生・盗み・邪婬・飲酒)の他、妄語の罪を犯した者が堕ちる、叫喚地獄の十倍の苦しみを受け、舌を抜かれる世界

⑥焦熱:上の五つ (殺生・盗み・邪婬・飲酒・妄語)の罪の他、邪見の者の堕ちる、尤も熱い苦しみの世界

⑦大焦熱:上の六つ (殺生・盗み・邪婬・飲酒・妄語・邪見)の外、聖なる者を犯した罪の堕ちる、焦熱地獄の十倍の苦しみを受ける世界

⑧阿鼻 (無間):五逆罪・十悪・謗法の罪を犯した者の堕ちる、救いようのない極苦の世界

この八大地獄の各々に十六の小地獄がある。


初めに等活地獄とは、

この閻浮提 (えんぶだん※宇宙の中心である須弥山の南方の大陸、いわゆるインド全体を指したもの、即ち人間の住む世界の意) の下、一千由旬 (ゆじゅん ※ヨージャナの音写。インドの距離の単位。1ヨージャナ=1万千二百六十三キロメートル) のところにある。縦の広さは一万由旬である。この中の罪人は、互いに常に害心を懐いている。もしたまたま相(すがた)を見れば、猟者の鹿に逢えるが如くである。おのおの鉄の爪を以て互いにつかみ裂く。血肉すでに尽きてただ残骨のみとなる。或いは獄卒が手に鉄の杖・鉄の棒を執り、頭より足に至るまであまねく皆打ちつけるに、身体破れ砕かれること猶(なお)し沙揣 (しゃだん ※砂のかたまり)の如し。或いは極めて利 (するど)い刀を以て分々に肉を割くこと、厨者 (ちゅうしゃ ※料理人) が魚肉を屠 (ほふ)るが如し。涼風来たり吹くに、ついでよみがえること故(もと)の如し。欻然 (くつねん ※たちまち) としてまた起きて、前の如く苦を受ける。或いは云う、空中に声ありて「この諸々の有情(うじょう ※衆生)、また等しく活きかえるべし」と。或いは云う、獄卒が鉄叉(かなまた)を以て地を打ち、唱えて「活、活(かつ、かつ)」と云う。かくの如き等の苦しみは具(つぶ)さに述べることができない。

人間の五十年を以て四天王天の一日一夜となして、その寿命五百歳なり。四天王天の寿命を以てこの地獄の一日一夜となして、その寿命五百歳なり。殺生する者が此の中に堕ちる。

我々は無意識なうちに相手を困惑させ、誤解させ、怨みを持たせ、やがては大きな闘争に発展することさえもある。意識して自己本位な、勝手気ままなふるまいをし、相手のことも考えず、自分さえ良ければ他人などどうなっても構わないと思い、さらに他人を傷つける。眼に見えるだけではない、不安感や恐怖感などの精神的苦痛を与えることも同じである。そう考えれば果たして誰が偉そうに地獄に堕ちる行為はしていないと云えようか。果てしなく傷つけ合う世界が等活地獄であるならば、何と多くの人を、形を変え傷つけている私ではなかろうか。人間存在そのものが堕獄の存在だとさえ言えるかもしれない。他人を害し、自分の生命すら粗末にしてしまう存在、それだけに生命の尊さを知らせようとしたのが、この等活地獄に他ならない。等活の原語はサンジーヴァで、「共に生活する」ことを本来の意味としている。共同生活すべきことが人間の本来であれば、多くの周囲の人の恩恵で、私は私としての存在が発揮できているのである。その周囲の人を害することは矢張り罪であることを、等活という言葉によって暗示していると言えるのではなかろうか。

二に黒縄地獄とは等活の下にあり。縦の広さ等活に同じ。獄卒が罪人をとらえて熱鉄の地に臥せ、熱鉄の縄を以て縦横に身体に墨縄を引き、熱鉄の斧を以て縄に随い切り裂く。或いはのこぎりを以てさきわけ、或いは刀を以て屠(ほふ)り、百千の断片となして処々に散らしておく。また熱鉄の縄をかけて、交え横たえること無数、罪人を駆り立てその中に入らしめると、悪風がにわかに吹いて、その身に交え絡まり、肉を焼き骨を焦がして、楚毒(そどく ※苦痛)極まりなし。

黒縄というのは、大工さんが木材を切る時に墨壺を使い糸で直線を引く道具である。黒縄地獄ではこのような道具と同じように、人間の体に熱い鉄縄で墨をうって獄卒が切り放つのである。しかし現世でも人間は人間同士で、これに類する行為を犯してきた。戦争などの異常な状態の時、人間をまるで魚か獣のように切り刻み、刺身のように人体実験に供してきたことだってあった。許すべからざる行為を、いつどこで犯すとも限らないのが人間である。等活地獄は殺生の罪を犯した者が必ず堕ちる地獄であるが、黒縄地獄は、殺生と盗みの二つの罪を重ねた者が堕ちる世界である。ただし盗みの罪とは、単に目に見える金銭や物品に限らないのである。そうなると盗みをしたことのない人間はいないことになるだろう。

第三に衆合地獄というのは、黒縄地獄の下にある