無自性
山本空外上人法話
【昭和52年 出西窯創業40周年・無自性記念碑開眼供養法話より抜粋】
無自性
己己圓成
無自性
ここに「従衆縁故必無自性」とありますが、その「無自性」(むじしょう)という自性の無い生活を平等に全うする為には、どうしても欠かすことの出来ないのが、南無阿弥陀仏という、これは世界一の言葉ですが、それを共々に称えさえて頂けることを有難く思います。
「衆縁(しゅえん)によるが故に必ず自性(じしょう)なし」という言葉は、世界の思想をまとめればこう言えるのではないかと思います。このことさえ我々が心に念じて自分で出来る限りを尽くしてゆけば、一人一人も何倍もましな仕事が実るし、又マイナスの争いとか、戦争というものは無論あろう筈がないのですから、もう仕事の中身が何十倍にも何百倍にも実り、心の花も開けばまた豊かにもなって各自の生活も深まりましょう。
それで、自性の無い、つまり自然で平和な、一人一人が一人一人なりに人生を全うし、楽しみながらも相互に生かし合える日々、それが永遠の今として考えられるのです。目前の利害に左右されるだけで、楽しいとか有難いとか良かったとかいうのは、実はその時だけのことで、後に色々な病気が流行っているようなものです。その瞬間だけは楽しいと思う。でもそれは一時的な楽しみでしかないのだから、真実の楽しみの方を極楽と申します。「極めて」と、最上級で限定しているのです。我われがいつまでも楽しいのは、極楽しかないわけです。今楽しいことが後でまたマイナスになってくるというように、生れて来た甲斐がない一生では、結局死んだら何もならないではないですか。
そのような発想は中国にも欧米にもないのです、「無自性」という思想がないのです。
ただ例外的に西洋の思想を代表する最高峰にプローティノスという人がおりますが、この最高峰ならば南無阿弥陀仏にも直結しています。東西の思想が直結する、そういう所に初めて、お互いに平和な楽しい真実な生活が出来るのではないでしょうか。これは東洋だから、これは西洋だからと、どちらが良いとかどちらがましだ等といっていたなら、結局何にもならず雑音にしかならないのです。今までの文化は殆どそうでした。書道も同じです。
しかしこれからは、そんな何にもならんような一生ではなしに、誰もが、老人は老人で、青年は青年で、男子は男子で、女子は女子で、自分でなければ実らすことの出来ない人生の花を咲かせるのです。「己己圓成」(ここえんじょう)という言葉がありますが、「己」というのは自分のことです。もう一つの「己」も自己ということで、人間一人一人という事です。各人なりに人生を全うするという事です。そういう思想は西洋には乏しいのですが、西洋でもそれではいけないという事を言い出した人がありました。例えばドイツの観念論を代表するシェリングという人や、ずっと後に、現代のナトルプという人は矢張りそれを言っております。
このシェリングの主著『人間的自由の本質』(1809年出版)は、プローティノスの現代版のようであると評されておりますが、元はプローティノスです。プローティノスは三世紀の人で、その師事した先生がシャカスというインドから来た哲人で、アフリカのアレクサンドリアで教育を受けたのです。当時のアレクサンドリアは、その頃東西文化交流のセンターでした。
仏教が今日のような偉大な思想体系になったのは、お釈迦様の縁起の説教だけに終わらず、十大弟子、さらに彼らに続く諸思想家に依る展開を待たなければなりませんが、アレクサンダー大王がインド攻略をした(BC327年)ことが大きく影響しています。もしインドが勝っていたらそれだけのことでした。ところが負けたおかげで、古代ギリシア文化の積極的影響を受けることになり、東西文化総合の最高の華も開き得たのです。仏像もそうです、最古の仏像はアポロ仏で、古代ギリシャ人がインドを攻略した西北ガンダーラで自ら作り礼拝したものです。日本仏教でも仏像を除外してしまっては芸術文化まで半減するでしょう。般若心経にしてもそうです、アレクサンダー大王がインドを征服していなかったら般若心経も出来ていませんよ。あれはもう東西文化の総合的な一つの華ですね。
そういうふうに戦争に負けたことによって、却って仏教の世界文化的な花が開くことになったのです。それが一人一人の「己己圓成」、一人一人が圓満に成就してゆく生き方に収まり、その心の杖が南無阿弥陀仏となったのです。般若心経の原本には「空こそ色なれ」という要句がありますが、その中身が後に南無阿弥陀仏となります。般若心経を一息で言えば、南無阿弥陀仏なのです。般若心経の値打ちというのは、もう南無阿弥陀仏の隣まで世界の思想を実らせたことです。それが功績です。般若心経が無ければ南無阿弥陀仏も出来ませんでした。ただ般若心経だけで終わったのでは何にもならぬのです。何もならない証拠に、般若心経を唱えて滝に打たれたりしているだけではそれだけのことです。南無阿弥陀仏は違います、称名生活の中に自然に、一人一人の心がアミダ様と一如になっていきます。
プローティノスは、それを「一者(トヘン)」とギリシャ語で表現し、世を輝き照す思想を構築しました。それに取り組んだのが五世紀のアウグスティヌスです。どちらもアフリカ人ですが、アウグスティヌスは先輩のプローティノスの著作に出会って目覚めて、はじめて人間となり、その「一者」の思想に取り組んで、その思想をキリスト教に取り入れたのです。それから後のキリスト教の思想的な花は世界一の華になりましたが、その原点はアウグスティヌスです。
アウグスティヌスの取り組んだプローティノスの思想は、「感覚へ散乱せずして自己の同一点に統一する(シュンアゲスタイ)」というのですが、自己に還るといっても良いのです。西洋が西洋になれた最高の中身とその心の悟りは、世界に類がないほどに花開いたのです。だから私は西洋も素晴らしいと思います。ただ、近世になってから問題があるのです。例えば前述のシェリングは、「近世ヨーロッパの全哲学はデカルトに由るその始まり以来共通の欠点を持っている。即ち彼らには自然が存しない、自然ということに生ける根底を欠く」(『人間的自由の本質』)と評しています。
曠劫よりこの方一人一人の人間の存在は、それぞれみな祖先も違いますし、また祖先の色々な生活の深みもみな違いますから、それらが一人一人にみな遺伝されていますので、自分が自分に還りさえすれば、遺伝の中身というものが深まって自然に豊かな人生の華が開くようになるのです。
キリストさまとお釈迦様は全然違います。
キリストさまは三十過ぎで十字架で殺されましたが、八十才まで生きられたお釈迦様どころではありません。現在キリスト教徒は仏教徒の何倍もあります。それだけの影響を人類に対して持ち得たのです。わずかに三十過ぎで、しかも最後を十字架で処刑され、これほど気の毒な人はいないと言えます。十二の使途といわれる自分の弟子の一人のユダが、お金欲しさに師匠のキリストを売ったのですよ。そんな哀れな弟子を入れて十二人しかいなかったのです。
しかし、十字架になったことを生かしたならば、見方によっては気の毒な最期ではあっても、そのおかげでキリスト教を大成させることが出来たのです。
それも中身が無ければできぬことで、それはプローティノスの「一者」の考えを、アウグスティヌスが取り組んでキリスト教に取り入れたからです。だから結果的に咲いた花というのは人類文化の最高峰です。
そういうように見た目は気の毒なようであっても、それを生かしさえすれば、類がないほどの道が開けて花も咲くのです。
詰まらぬとか情けないとか言う人はキリストのことを考えてみたら良いと思いますね。あれほど気の毒な人はいないわけです。わずか十二人の弟子の一人が金の為に、金を貰って師匠を処刑させたのですから。
そういう目にあいながらも、しかし世界人類文化史上並ぶ人がないほどの華が開き得たのです。自己が自己に還らなければそれは出来ないが、還れば出来るのです。己己圓成というのはそういうことです。
己己圓成で、西洋は西洋人なりに心の文化の花が開いたけれども、しかし、それは人間本位を免れ得ませんでした。人間はもう一つ、自然ということに取り組まなければ本当の人間になれぬのです。
シェリングは西洋の近世哲学を批評して、これには「自然ということに生ける根底が欠けている」というのです。
この自然というものの生命を、人間が一人一人なりに、自分の仕事の中へ実らせてゆくような生き方、生活さえすれば、私は極めて楽しいのではないかと思うのです。否、思うだけではありません。私自身がこの八十四歳まで暮らせた原点というのは、そこにしかないのです。
科学というのは共通なもので、アメリカがやれば直ぐ他の国でも真似をすることが出来、又その反対もできるのです。真似の出来るようなものは実は文化ではない、文化というものは自分しかできないものを実らせてゆくことなのです。真似ならば主体性がないのです。己己圓成しておりません。それではどうしたら己己圓成の生活が実るかといえば、その平等の生き方の方法は南無阿弥陀仏しかないのです。
同じく花であっても桜と梅とは違います、梅には梅の良さがあり、桜には桜でなければならぬ楽しさもあって、似たり寄ったりでは値打ちがない。またランの花が寂しそうであっても、谷間に咲いているランはいかにも寂しそうだけれども、ランでなくてはならぬ愛おしさがあります。
何でもそのものでなくてはならぬ良さを持っています。花だけではない、鳥もそうです。
人間だけが人真似をして、そして損だ、得だと思うので、まあ思うのはいくら思っても良いけれど、それだけでは何にもならんのです。人間そのものがマイナスになるだけです。それがひいては社会のマイナスにもなりますのです。
この四十年間の出西窯というのは、本当に今、私は「無自性碑」の開眼式をさせて頂いて痛感しておりますが、四十年間実り尽くして、しかも何倍にもこうして盛んになりながらも、最初の原点というものを守り通されている。だから「無自性」の碑も四十年の記念に建立して頂くことが出来たのだと思います。
その原点がなお前向きに進められている証拠で、誰か異存のある人があったら出来ませんけれど、皆が賛成して下さるというのがまた仕事の内容にもなって、これからも永遠の発展を期待してやみません。そういう世界の文化の一角に、そういう仲間は多くはないけれど、しかし、自分が自分になるという、原点に取り組みだしたら、どんな豊かな美しい花でも咲くのだという、その証拠にキリスト教をあげさせて頂きました。
自分が自分に還るという思想が西洋にありますが、その元になる種子を撒いたのはプローティノスの師シャカスという人です。
シャカスという人は、インドのお釈迦様と通じる名前でないかということを、今日のドイツの学士院でも研究されています。こういうようにして、インドの思想がエジプトを通ってヨーロッパに入るのです。ヨーロッパとインドの文化交流のセンターであったアレクサンドリアでプローティノスは勉強したのです。良い師匠とのめぐり会いによって、プローティノスも圓成できたのだから、皆さんの中からもプローティノスのような人が出て下さる将来というものが期待できぬことはないと思います。
今わずか四十年、わずかというと失礼ですけれど、何百年何千年という文化を今問題にしておりますから、四十年という歳月は短いと言えます。しかしこの四十年を本当に永遠に実ってゆくような光として、大いに皆さんの力で豊かに盛り上げて頂きたいものと期待しながら、このお話を結びたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。
南無阿弥陀仏 十念 (出西窯発行『無自性』参照 石川乗願 文責)