法城寺出身尼僧

弁栄聖者直弟子

当山 法尼

初代法蓮尼をはじめ法栄尼・法道尼までは戸籍上法城寺開基石川市郎翁の養子となられ、法蓮尼の姪にあたる第四代法信尼は市郎翁亡き後八重夫人の養子となる、また第五代順孝尼は法信尼の養子、六代乗願は順孝尼の養子となる。三代までは弁栄聖者の直接の指導を受けられていたが、四代・五代の時代には聖者の法灯はもうすでに消えてしまっていたので、律寺貞照院と布教師水谷大成師に指導を仰ぎ、法城寺から念仏の灯を消すことなく地元に密着した寺院として仏法興隆された。

初代 法蓮法尼 大正七年十一月二十五日寂 五十一歳  弁栄聖者弟子

二代 法栄法尼 昭和二年六月十一日寂 五十七歳    弁栄聖者弟子

三代 法道法尼 昭和六年六月九日寂 五十五歳     弁栄聖者弟子

※ 法浄法尼  昭和六年八月八日寂          弁栄聖者弟子

四代 法信法尼 昭和五十年五月十九日寂 七十四歳

五代 順孝法尼 令和二年六月十七日 八十二歳

新川町 閑楽寺

碧南市東山町にある閑楽寺は、東山庄屋鈴木嘉兵衛家の分家喜造家隠居所であったが、西尾市法厳尼寺で得度修行した喜造氏の息女、聖海尼を迎え入れ閑楽庵と号するようになった。二代目称説尼、三代目貞月尼は弁栄聖者の直弟子で、法城寺で修行された尼僧である。聖者入滅の際には二人そろって柏崎の地を訪ねておられる。

二代 称説法尼 昭和三十六年融二月十五日寂      弁栄聖者弟子

三代 貞月法尼 昭和五十二年五月二十六日寂 八十二歳 弁栄聖者直弟子

 (明治二十八年生まれ 明治四十五年十八歳 許出家~大正七年二十四歳 加行成満 昭和四入山) 

半田市 応称院

明治四十三年、山田園子氏が亡き夫の遺志を受け継ぎ、半田の地に仏堂を建立し山田庵と称し弁栄聖者直弟子の判治貞全尼を庵主として迎えられた。大正三年松阪市樹教寺の末寺応称院の寺号を継承し、大正七年に聖者の弟子である青柳智月尼を第二代住職に迎えられた。その息女であったよし子氏も共に入山し、聖者に得度を受け出家するが、やがて還俗し淑徳学園の長谷川良信先生のもとへ嫁ぎ社会活動に活躍される。

初代 貞全法尼 大正七年七月一日寂 四十三歳     弁栄聖者直弟子

二代 智月法尼  昭和三十年八月十七日寂       弁栄聖者直弟子

 長谷川よし子先生 平成八年三月十四日寂 八十八歳 弁栄聖者直弟子


安城市 受頭院

初代 祐心法尼  二代 祐孝

          祐善法尼(純誠和尚姉)

安城市 浄閑寺

初代開山 祐善法尼(浅井戸純誠和尚姉)