諸師方の十二光解釈
釈迦牟尼如来
『無量寿経』に説き給う。
「佛告阿難 無量壽佛威神光明最尊第一 諸佛光明所不能及 或有佛 光照百佛世界或千佛世界 取要言之 乃照東方恆沙佛刹 南西北方四維上下亦復如是 或有佛光 照于七尺 或照一由旬二三四五由旬 如是轉倍乃至照於一佛刹土 是故無量壽佛號 ➀無量光佛 ➁無邊光佛 ③無礙光佛 ④無對光佛 ⑤燄王光佛 ⑥淸淨光佛 ⑦歡喜光佛 ⑧智慧光佛 ⑨不斷光佛 ⑩難思光佛 ⑪無稱光 佛⑫超日月光(仏阿難に告げたまわく 無量寿仏の威神光明最尊第一にして諸仏の光明及ぶこと能わざる所なり 或いは仏光ありて百仏世界を照し 或いは千仏世界を照らす 要を取って之を言わば 乃ち東方恒沙の仏刹を照らす 南西北方四維上下も亦また是の如し 或いは仏光ありて七尺を照らす 或いは一由旬二三四五由旬を照らす 是の如く転倍して乃至一仏刹土を照らす この故に無量寿仏を無量光仏 無辺光仏 無礙光仏 無対光仏 炎王光仏 清浄光仏 歓喜光仏 智慧光仏 不断光仏 難思光仏 無称光仏 超日月光仏と号したてまつる)」
曇鸞大師
曇鸞大師は此の『無量寿経』の十二光を、『讃阿弥陀仏偈』でその称号の付せられる理由を説きながら、各々の徳用を礼讃しておられます。
「南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛(西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
成佛已來歴十劫 壽命方將無有量 法身光輪徧法界 照世盲冥故頂禮(成仏よりこの方十劫を歴たまえり。寿命まさに量りあることなし。法身の光輪法界にあまねくして、世の盲冥を照らす。故に頂礼したてまつる)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)
➀南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛(西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
智慧光明不可量 故佛又號無量光 有量諸相蒙光曉 是故稽首眞實明(智慧の光明量るべからず。故に仏をまた無量光と号したてまつる。有量の諸相光暁を蒙る。この故に真実明を稽首したてまつる)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)
➁南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛(西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
解脱光輪無限齊 故佛又號無邊光 蒙光觸者離有無 是故稽首平等覺(解脱の光輪限斉なし。故に仏をまた無辺光と号したてまつる。光触を蒙るもの有無を離る。この故に平等覚を稽首したてまつる)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)
③南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛(西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
光雲無礙如虚空 故佛又號無礙光 一切有礙蒙光澤 是故頂禮難思議(光雲無礙にして虚空の如し。故に仏をまた無礙光と号したてまつる。一切の有礙光沢を蒙る。この故に難思議を頂礼したてまつる)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)
④南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛(西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
淸淨光明無有對 故佛又號無對光 遇斯光者業繫除 是故稽首畢竟依(清浄の光明対するものあることなし。故に仏をまた無対光と号したてまつる。この光に遇うもの業繋除かれる。この故に畢竟依を稽首したてまつる)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)
⑤南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛(西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
佛光照耀最第一 故佛又號光焰王 三塗黑闇蒙光啓 是故頂禮大應供(仏光照曜すること最第一なり。故に仏をまた光炎王と号したてまつる。三塗の黒闇光啓を蒙る。この故に大応供を頂礼したてまつる)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)
⑥南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛(西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
道光明朗色超絶 故佛又號淸淨光 一蒙光照罪垢除 皆得解脱故頂禮(道光明朗にして色を超絶せり。故に仏をまた清浄光と号したてまつる。一たび光照蒙れば、罪垢除かれ皆解脱を得。故に頂礼したてまつる)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)
⑦南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛(西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
慈光遐被施安樂 故佛又號歡喜光 光所至處得法喜 稽首頂禮大安慰(慈光はるかに被らしめらて安楽を施したまう。故に仏をまた歓喜光と号したてまつる。光の至る所は法喜を得る所なれば、大安慰を稽首したてまつる)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)
⑧南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛(西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
佛光能破無明闇 故佛又號智慧光 一切諸佛三乘衆 咸共歎譽故稽首(仏光能く無明の闇を破す。故に仏をまた智慧光と号したてまつる。一切諸仏に三乗衆、ことごとく共に歎誉したまう。故に稽首したてまつる)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)
⑨南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛(西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
光明一切時暜照 故佛又號不斷光 聞光力故心不斷 皆得往生故頂禮(光明一切の時にあまねく照らす。故に仏をまた不断光と号したてまつる。光力を聞くが故に心断えずして皆往生を得。故に頂礼したてまつる)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)
⑩南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛(西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
其光除佛莫能測 故佛又號難思光 十方諸佛歎往生 稱其功德故稽首(その光仏を除きては能く測るものなし。故に仏をまた難思光と号したてまつる。十方諸仏往生を歎じ、其の功徳を称えたてまつれり。故に稽首したてまつる)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)
⑪南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛 (西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
神光離相不可名 故佛又號無稱光 因光成佛光赫然 諸佛所歎故頂禮(神光、相を離れて名づくべからず。故に仏をまた無称光と号したてまつる。光に因りて成仏したまえば光赫然たり。諸仏の歎じたまえる所なり。故に頂礼したてまつる)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)
⑫南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛(西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
光明照曜過日月 故佛號超日月光 釋迦佛歎尚不盡 故我稽首無等等(光明照曜すること日月に過ぎたり。故に仏を超日月光と号したてまつる。釈迦仏歎じ給うも尚尽きず。故にわれ無等等を稽首したてまつる)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)
南無至心歸命禮 西方阿彌陀佛(西方浄土の阿弥陀仏 至心に帰命し礼し奉る)
哀愍覆護我 令法種增長 此世及後生 願佛常攝受 (哀愍して我を護念し 法種をして増長せしめ 此の世および後生も 願わくは仏 常に摂受したまえ)
願共諸衆生 往生安樂國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)」
善導大師
善導大師は此の曇鸞大師を受けて、『往生礼讃』の日没礼讃偈で十二光仏を中心に、釈迦仏及び十方の諸仏、弥陀の光明十二種の名有るを讃歎して普く衆生に願往生を勧めておられます。
「➀南無西方極樂世界無量光佛 (西方極楽世界の無量光仏に帰命し奉る)
願共衆生咸歸命 故我頂禮生彼國 (願わくは衆生と共にことごとく帰命せん 故に我頂礼し彼の国に生れん)
➁南無西方極樂世界無邊光佛 (西方極楽世界の無辺光仏に帰命し奉る)
願共衆生咸歸命 故我頂禮生彼國 (願わくは衆生と共にことごとく帰命せん 故に我頂礼し彼の国に生れん)
③南無西方極樂世界無礙光佛 (西方極楽世界の無礙光仏に帰命し奉る)
願共衆生咸歸命 故我頂禮生彼國 (願わくは衆生と共にことごとく帰命せん 故に我頂礼し彼の国に生れん)
④南無西方極樂世界無對光佛 (西方極楽世界の無対光仏に帰命し奉る)
願共衆生咸歸命 故我頂禮生彼國 (願わくは衆生と共にことごとく帰命せん 故に我頂礼し彼の国に生れん)
⑤南無西方極樂世界炎王光佛 (西方極楽世界の炎王光仏に帰命し奉る)
願共衆生咸歸命 故我頂禮生彼國 (願わくは衆生と共にことごとく帰命せん 故に我頂礼し彼の国に生れん)
⑥南無西方極樂世界淸淨光佛 (西方極楽世界の清浄光仏に帰命し奉る)
願共衆生咸歸命 故我頂禮生彼國 (願わくは衆生と共にことごとく帰命せん 故に我頂礼し彼の国に生れん)
⑦南無西方極樂世界歡喜光佛 (西方極楽世界の歓喜光仏に帰命し奉る)
願共衆生咸歸命 故我頂禮生彼國 (願わくは衆生と共にことごとく帰命せん 故に我頂礼し彼の国に生れん)
⑧南無西方極樂世界智慧光佛 (西方極楽世界の智慧光仏に帰命し奉る)
願共衆生咸歸命 故我頂禮生彼國 (願わくは衆生と共にことごとく帰命せん 故に我頂礼し彼の国に生れん)
⑨南無西方極樂世界不斷光佛 (西方極楽世界の不断光仏に帰命し奉る)
願共衆生咸歸命 故我頂禮生彼國 (願わくは衆生と共にことごとく帰命せん 故に我頂礼し彼の国に生れん)
⑩南無西方極樂世界難思光佛 (西方極楽世界の難思光仏に帰命し奉る)
願共衆生咸歸命 故我頂禮生彼國 (願わくは衆生と共にことごとく帰命せん 故に我頂礼し彼の国に生れん)
⑪南無西方極樂世界無稱光佛 (西方極楽世界の無称光仏に帰命し奉る)
願共衆生咸歸命 故我頂禮生彼國 (願わくは衆生と共にことごとく帰命せん 故に我頂礼し彼の国に生れん)
⑫南無西方極樂世界超日月光佛 (西方極楽世界の超日月光仏に帰命し奉る)
願共衆生咸歸命 故我頂禮生彼國 (願わくは衆生と共にことごとく帰命せん 故に我頂礼し彼の国に生れん)
南無西方極樂世界阿彌陀佛 (西方極楽世界の阿弥陀仏に帰命し奉る)
哀愍覆護我 令法種增長 此世及後生 願佛常攝受(哀愍して我を護念し 法種をして増長せしめ 此の世および後生も 願わくは仏 常に摂受したまえ)
願共衆生咸歸命 故我頂禮生彼國(願わくは諸の衆生と共に 安楽国に往生せん)」
親鸞聖人
親鸞聖人も曇鸞大師の『讃阿弥陀仏偈』をそのまま受けて、「讃阿弥陀仏偈和讃」として褒めたたえておれます。又『教行信証』「正信偈」の中で十二光に触れています。正信偈には、
「法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪 建立無上殊勝願 超発希有大弘誓 五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方 普放➀無量➁無辺光③無碍④無対⑤光炎王⑥清浄⑦歓喜⑧智慧光⑨不断⑩難思⑪無称光⑫超日月光照塵刹 一切群生蒙光照(法蔵菩薩 因位の時に世自在王仏の所に在して 諸仏の浄土の因 国土人天の善悪を覩見したまい 無上殊勝の願を建立し 希有の大弘誓を超発して 五劫に之を思惟し摂受したまえり 重ねて誓うらくは 名声十方に聞こえんと 普く無量 無辺光 無礙 無対 光炎王 清浄 歓喜 智慧光 不断 難思 無称光 超日月光を放ちたまいて 一切の群生光照を蒙る)」と。
讃阿弥陀仏偈和讃には
「南無阿弥陀仏
弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり
法身の光輪きわもなく 世の盲冥をてらすなり
➀智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく
光暁かむらぬものはなし 真実明に帰命せよ
➁解脱の光輪きわもなし 光触かむるものはみな
有無をはなるとのべたもう 平等覚に帰命せよ
③光雲無碍如虚空 一切の有碍にさわりなし
光沢かむらぬものぞなき 難思議を帰命せよ
④清浄光明ならびなし 遇斯光のゆえなれば
一切の業繋ものぞこりぬ 畢竟依を帰命せよ
⑤仏光照曜最第一 光炎王仏となづけたり
三塗の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ
⑥道光明朗超絶せり 清浄光仏ともうすなり
ひとたび光照かむるもの 業垢をのぞき解脱をう
⑦慈光はるかにかむらしめ ひかりのいたるところには
法喜をうとぞのべたもう 大安慰を帰命せよ
⑧無明の闇を破するゆえ 智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆 ともに嘆誉したまえり
⑨光明てらしてたえざれば 不断光仏となづけたり
聞光力のゆえなれば 心不断にて往生す
⑩仏光測量なきゆえに 難思光仏となづけたり
諸仏は往生嘆じつつ 弥陀の功徳を称せしむ
⑪神光の離相をとかざれば 無称光仏となづけたり
因光成仏のひかりをば 諸仏の嘆ずるところなり
⑫光明月日に勝過して 超日月光となづけたり
釈迦嘆じてなおつきず 無等等を帰命せよ」とあります。
源信僧都
源信僧都の『往生要集』第五「助念方法」において十二光の説示を紹介する中に、一々に新羅玄一の『無量寿経記』上の説を付してその意を説いておられます。また、清浄・歓喜・智慧の三光については新羅憬興の『無量寿経連義述文賛』中の注釈を加えて、其の意を説いておられます。
『往生要集』に曰く、
「經云 無量壽佛威神光明最勝第一 諸佛光明所不能及 或有佛光 照百佛世界或千佛世界 取要言之 乃照東方恒河沙佛刹 南西北方四維上下亦復如是 是故無量壽佛號 無量光佛 無邊光佛 無礙光佛 無對光佛 (玄一師の云わく、「ともに等しきもの無きが故に」) 炎王光佛(玄一師の云わく、「最勝自在なるが故に」) 清浄光(玄一師の云わく、「三垢を滅するが故に」 と、憬興師の云わく、「無貪の善根の所生なるが故に」) 歡喜光佛(玄一師の云わく、「遇う者悅意するが故に」 と、憬興師の云わく、「無瞋の所生なるが故に」) 智慧光佛(玄一師の云わく、「智慧の所發なるが故に」 と、憬興師の云わく、「無癡の所生なるが故に」) 不斷光佛(玄一師の云わく、「恒に相續なるが故に」) 難思光佛 無稱光佛(玄一師の云わく、「稱歎して、其の所有の盡きざるが故に」と、自餘の名義は知りぬべし、煩わしきは記せず) 超日月光佛 若在三途勤苦之處 見此光明 無復苦惱壽終之後皆蒙解脱 」とあります。
法然上人
安楽房遵西の父親である中原師秀に請われて行われた説法の筆録『逆修説法』三七日に、法然上人も十二光 (の内の六光)に言及しておられます。
「彼の阿弥陀仏は名号を以て衆生を度し給う。釈迦大師また多く彼の名号を讃歎して未来に流通し給えり。阿弥陀とはこれ梵語なり。此れに翻して無量寿、無量光、無辺光、無碍光、無対光、炎王光、清浄光、歓喜光、智慧光、不断光、難思光、無称光、超日月光という。是に知りぬ。名号の中に光明と寿命との二義を具し給えり。彼の阿弥陀仏の一切功徳の中には寿命を本となし、光明勝れたるが故なり。故に今また須らく光明寿命の二徳を讃歎すべし。
無量光とは、経に無量寿仏に八万四千の相あり 一々の相に各八万四千の随形好あり 一々の好に復八万四千の光明あり 一々の光明遍く十方の世界照らして 念仏の衆生を摂取して捨て給わず。(源信僧都)恵心これを勘じて云わく、一々の相の中に各七百五俱仾六百万の光明を具して熾然赫奕たりと。一相より出る所の光明斯くの如し。況やまた八万四千の相をや。誠に竿数の及ぶ所に非ざる故に無量光というなり。
無辺光とは彼の仏の光明、その数上の如くただ光明のみ無量なるにあらず。其の所照の処もまた辺際あること無きが故に、無辺光という。
無礙光とは、此の世界の日月燈燭などの光の如きは、若し隔礙あれば即ち照曜すること能わず。彼の仏の光は十方世界に徹照せずということなし。...此の界の念仏の衆生、障礙あることなし、所余の十方世界を照摂したまうもまたまた是の如し。故に無礙光というなり。
清浄光とは、無貪の善根所生の光なり。清浄とは、およそこの光に触れる者は婬財の二貪が除かれる。貪を不浄と名づく故に清浄を以て光明に名づくなり。至心に専ら阿弥陀仏の名号を念ずれば、則ち仏、無貪清浄の光明を放ちて照触摂取し給う、故に婬貪財貪の不浄を除き、無戒破戒の罪を滅して無貪善根の身となりて自戒清浄の人に均しくなり。
歓喜光とは、是無瞋の善根所生の光なり。この光に触れるものは瞋恚の罪を滅す。若し多瞋の人念仏を専修すれば、彼の歓喜の光を以て之を摂取したまうが故に瞋恚の罪滅して忍辱の人に同ず。
智慧光とは、無癡の善根所生の光なり。この光は即ち能く愚痴の罪を滅す、然れば則ち無智の念仏者なりと雖も彼の智慧光を以て之を摂取したまう故に、能く愚痴の罪を滅して即ち智者と異ある事なきなり。
以下の諸光はこれに準じて知りぬべし」
と念仏者の蒙る、無量光・無辺光・無碍光・清浄光・歓喜光・智慧光の六光の徳を説かれ、後は準じて知るべしと省略されています。
一遍上人
『一遍上人語録』の「道具秘釈」に、
「一遍の弟子、まさに十二道具を用いるのこころを信ずべし」と仰せられています。最小限の持物で全国を遊行される一遍上人には、道具も「南無阿弥陀仏」そのものであり、各々に十二光仏にあてて尊ばれています。
「一、引入 南無阿弥陀仏。無量の生命、名号法器たるを信ずる心、これ即ち無量光仏の徳なり。
一、箸筒 南無阿弥陀仏。無辺の功徳、衆生の心に入るを信ずる心、これ即ち無辺光仏の徳なり。
一、阿弥衣 南無阿弥陀仏。善悪同じく摂する、弥陀の本願を信ずる心、これ即ち無礙光仏の徳なり。
一、袈裟 南無阿弥陀仏。苦悩を除くの法は、名号に対ぶるものなきを信ずる心、これ即ち無対光仏の徳なり。
一、帷 南無阿弥陀仏。火変じて風と成り、化仏来迎したまふを信ずる心、これ即ち炎王光仏の徳なり。
一、手巾 南無阿弥陀仏。一たび弥陀を念ずれば、即ち多罪を滅するを信ずる心、これ即ち清浄光仏の徳なり。
一、帯 南無阿弥陀仏。廻光囲緯して、行者の身を照らすを信ずる心、これ即ち歓喜光仏の徳なり。
一、紙衣 南無阿弥陀仏。行住座臥、念念に臨終を信ずる心、これ即ち智慧光仏の徳なり。
一、念珠 南無阿弥陀仏。畢命を期とし、念念に称名を信ずる心、これ即ち不断光仏の徳なり。
一、衣 南無阿弥陀仏。この人、人中の券陀利華なるを信ずる心、これ即ち難思光仏の徳なり。
一、足駄 南無阿弥陀仏。最下の凡夫、最上の願に乗ずるを信ずる心、これ即ち無称光仏の徳なり。
一、頭巾 南無阿弥陀仏。諸仏の密意にして、諸教の最頂なるを信ずる心、これ即ち超日月光仏の徳なり。
本願の名号の中に、衆生の信徳あり。衆生の信心の上に、十二光の徳を顕はす。他力不思議にして、凡夫は思量し難し。仰いで弥陀の名を唱へて、十二光の益を蒙るべし。
南無阿弥陀仏(一切衆生、極楽に往生せむことを)
弘安十年三月朔日 一遍」