法城寺清規
当寺の庫裡の玄関を入り、左手の正面を見上げると、かつて書院の鴨居に此の額が掲げてありました。一番見易い所に規則を掲げ、生活上の心の拠り所とするよう聖者が御指導下されたのです。
法城寺尼僧達への信仰生活上の規則
仏の曰く 我是已成の仏 汝是当成の仏なりと 各自は如来の聖王子なり 各自ら日々に能く三たび其三業の所作を反省せよ 各自の良心は是汝の守本尊なり 是如来の分身なり 其指導によって行動せよ 各自は相互に如来の内容を実現して共に鏡となれ 仏陀禅那
【 意訳 】
釈迦牟尼世尊曰く、「私はすでに覚った仏であるが、貴方達はこれから覚って仏になる方々であります」と。その為には次の四つの規則(清規)を守った生活を心がけて下さい。
その一。貴女方は大ミオヤに必ず仏にさせて頂く身であるという事を決して忘れてはいけません。
その二。日に朝昼晩と三度、礼拝儀念仏を修して、ミオヤに委ねて、正しく導いて頂きなさい。
その三。貴女方の良心は各々に内在する仏です、良心(仏)に恥じるような行動をしてはいけません。
その四。各自は大ミオヤの聖意を一人一人実現し、 共に己を映す鏡として拝み合い、光明の生活を心がけてください。
仏陀禅那
ところで、昭和40年12月1日刊『光』誌に、法城寺清規と同様の文言が、愛知県豊橋市鍵田町にある松操学園 所蔵品として紹介されています。
仏の曰く 我是已成の仏 汝是当成の仏なりと 各自は如来の聖子なり 自から能く日々に三度 我三業の所作を省みて疚(やま)しからざらしめよ 自己の良心は是汝の守本尊なり 是如来の分身なり 其指導によりて行動せよ 亦各々相互に如来の光明を護たる意を以て 行為に現わして共に鏡と為られよ 仏陀禅那
松操学園は当初、豊橋 松操裁縫女学校として「明治40(1907)年9月,中野彦助が豊橋市花田字松山に設立(本科2年・実科1年・師範科2年)された。昭和15(1940)年4月,財団法人松操高等女学校を設立し,高等女学校,裁縫女学校の二本立てとし,同15(40)年11月,豊橋市山田町上新子に校舎を新築・移転・・・昭和23(1948)年4月,6・3・3制移行により松操高等学校・同併設中学校となった。しかし,生徒数減少のため学校法人改組の手続きをとらず,昭和26(1951)年3月,自然廃校となった。なお,松操学園は,昭和27(1952)年,財団法人松操学園として,豊橋市鍵田町に松操洋裁女学校を継続した。」 ( 『豊橋百科事典』 )とあります。平成19年に創設100周年を迎えられたようですが、現在は廃校となっています。
聖者が光明主義を標榜し三河地方を教化された時代は、また、女性の地位向上・独立を願って全国に女子教育の学校が創設され始め出した時代でもあります。松操学園もそのような学園の一つであったようです。弁栄聖者とどのような繋がりがあったのかは判りませんが、御縁を頂かれた聖者は学則として筆を執られました。当時の聖者が、女子教育の大切な心掛けとして常に考えておられたことです。 学則ですので、「日に三度三業の所作を省みる」というのは、法城寺に於ける勤行の様なことではないでしょうが、例えば、三度の食事時に手を合わせる時自己を省みるよう示されているのかもしれません。朝晩だけでなく日に三度という事は、常時憶念せよとのことでもあります。
また、内在の霊応身をわかり易く、良心と表現しておられます。これは聖者の光明主義五戒(➀殺すこと勿れ 己が霊性を。 ➁盗むこと勿れ 努力の光陰を。 ③婬すること勿れ 天魔の使と。 ④酔うこと勿れ 肉と我とに。 ⓹欺くこと勿れ 己の良心を。)にも表れていますが、我ら自身の良心をミオヤとして、その指示を仰ぐよう御指導されておられます。
あらゆる人々はミオヤの子であるから、その各々の幸いと栄えとは、大ミオヤの御光栄が人の身に顕われた姿に他ならず、共に敬い拝みあう光明の生活を理想に掲げられたのでありました。